seen29 半端者

 宮本の自宅にて。

 服部、宮本、そして明彦の3人は向かい合っていた。

「宮本君。けっして美咲さんは君らを苛めてるわけじゃないんだ。君らに上手くなって欲しいから厳しくしてるんだよ。」

 明彦は必死で説得を続けている。

 事の起こりは美咲が主将になってから始まった居残り練習だ。

 服部も宮本も自分達の実力が大きく劣ることを認めていたし、居残り練習を受けるのも仕方ないと思っていた。

 しかし、その練習の厳しさが二人の想像をはるかに越えていたのだった。

 そしてついに宮本が不満を爆発させたのである。

「何を言おうとオレはもう美咲にはついて行けん。アイツがオレらを上手くしようとしてるのは確かだろうが、それは俺らのためじゃない。自分自身のために決まってら。」

「そんな事ないよ!」

「そうだよ、四郎!さっきも話したろ。美咲はオレのために上級生に立ち向かったんだぞ。」

 服部は、今日の昼の出来事で美咲を信頼する気持ちが強くなった。彼も何とか宮本を説得しようと必死になっていた。

「本当にオレらの事を考えてたら、あんな無茶な練習するか?怪我でもしたらどーすんだよ。」

 宮本も負けじと言い返す。

「ちゃんとその辺は気を使ってるよ!この前美咲さんは一人で部室に残ってボール磨きしてたんだ。少しでもボールが見えやすいようにって!」

「ホントかあ?信じられねえな。」

「本当だよ!!」

 宮本は完全に美咲に対して疑心暗鬼に陥っており、何を言っても信じようとしなかった。

「なあ、四郎。辛いのは今だけかもしれないだろ。もうちょっと頑張ってみようぜ。」

「永遠に辛いかもしれねえじゃねえか。だいたいその前に怪我しちまわぁ。」

 こんな問答が延々と続いた。

 時計の針はすでに21時を回っているが未だに進展はない。

 しかし説得を諦めるわけにはいかなかった。

 明彦は美咲の本音を知っている。何としてもそれを伝えたかった。

 

「分かった分かった。たしかに、タダでも人数が足りないわけだし、戻ってやんね―事もない。」

 長時間の説得が功を奏し、ようやく宮本の態度が多少軟化した。

「ホント!?もう一度頑張ってくれるんだね!!」

 明彦と服部の顔に喜色が広がる。

「ただし条件がある。」

「条件!?」

「ああ。まずは、練習をもう少し楽っつったらおかしいけど、せめて今みたいな無茶な練習はやめてもらう。」

 宮本はそこまで言って一呼吸置いた。

「それからもうひとつ。」

「もうひとつ?」

「あれだけオレらは酷い目に遭わされたんだ。美咲に詫びのひとつでも入れてもらわんと気が済まん。そーだな、土下座でもしてもらおうかな。」

「み…、美咲さんに!?」

「そうだ。こーゆーとこはキッチリしとかねーと、割り切って練習できねーからな。」

「く…、そ、それは……。」

「それができなきゃオレは戻らねえ。美咲に伝えとけや。」

 これ以上この話を続けてもラチがあかないので、明彦はここで切り上げることにした。

 

―――翌日。

 明彦は昨日の宮本が出した条件を美咲に話せずに居た。

(ダメだよ…。これは…。)

 練習の軽減はなんとかなる。美咲に話せば分かってもらえる気もするし、正直自分もここまで厳しく当たらなくても良いんじゃないかという気持ちはある。

 しかし、もうひとつの条件が問題なのだ。

 美咲に謝らせるわけにはいかない。これを呑んだら美咲がすべて間違っていたことになる。宮本が言った事を認めることになる。

 決して美咲は宮本が言うように、自分だけのために二人をシゴいていたわけではないのだ。

 だから、美咲に昨日出された条件が言えなかった。

 これを美咲に伝えたら、自分も宮本と同じ目で美咲を見ていることになるからだ。

(どうしよう…。)

 もう一度練習後に宮本を説得し、この条件を撤回してもらうしかないと思った時、美咲が声を掛けてきた。

「アキ。」

「あ、美咲さん!」

「四郎がゴネてるらしいな。」

「う…、うん…。」

「オレが土下座すれば納得するらしいじゃねーか。」

「!!」

「功一から聞いたぜ。」

「う…。」

「オレ様に土下座しろとは…、思ったより度胸あるな、あのアゴ長星人め。」

「美咲さんが謝る事ないよ!!美咲さんは決して…!!」

 そこで美咲が明彦を制止した。

「うっ…!!」

「ま、ここから先はオレに任しとけ。」

「……………!」

「さて、次は音楽室だったかな。」

 美咲の後姿を見送りながら明彦は大きな不安にかられた。

(謝る気だ…。美咲さん、謝る気に違いない……!!)

―――昼休み。

「おい、四郎。」

 男子生徒の一人が宮本に声をかけた。

「ん?どうした。」

「霧野が屋上に来いってよ…。」

「へぇ。」

「やばいんじゃねえ、お前?」

「何が。」

「聞いたぞ。最近野球部の練習サボってるらしいじゃんか。霧野怒らせて大丈夫なのかよ。」

「ああ、平気平気。」

「土下座でもして謝っといたほうが身のためだぞ。霧野を怒らせて無事だった奴いないっていうぜ?」

「へえ。じゃあオレが最初の一人だな。」

「???」

 やけに余裕たっぷりの宮本に男子生徒は唖然としていた。

 

 屋上では美咲の左右に明彦と服部、中央の美咲がフェンスにもたれかかっていた。

 そして宮本が姿を現した。

「人の少ない屋上に呼びつけたって事は、謝る気になったわけか、美咲。」

 わざと挑発的に宮本が言う。

 自分が居なければますます人数が足らない。美咲は謝るに違いないと確信していた。

 しかし美咲は相変わらずフェンスにもたれたまま腕を組んでいる。

(くっ…。これが謝る奴の態度かよ…。)

 しかも威圧感さえある。

 その威圧感に圧迫され宮本はイライラしたように怒鳴った。

「さあ!早く謝れよ!そうしねーと戻ってやらねえぞ!!」

 すると宮本の予想とは裏腹に美咲は笑い出した。

「なっ…!何がおかしいんだ!!」

 てっきり明彦も服部も美咲が謝ると思っていたので面食らっている。

「バカかお前。」

「なんだと!!」

「美咲さん!」

 明彦がたしなめる様に叫ぶ。

 そんな事は気にも留めず美咲は宮本に歩み寄った。

「何でオレがてめえに謝んなきゃなんねーんだ。」

「も…、もう話は聞いてんだろ!オレに戻って欲しかったらなあ…!!」

「フン。誰が要るか、てめえみてーな負け犬。」

 そのまま宮本の横を美咲は通り過ぎた。

「な…、な…、な……!!」

 宮本は顔を真っ赤にして怒った。

「まっ…、待ちやがれこの野郎!!」

 美咲を追いかけて胸ぐらをつかんでまくし立てる。

「誰が負け犬だ!あ!?誰が…!!」

「てめえ以外に誰が居るんだよ。」

「なにぃ!?」

「練習が辛い、だからもうやめる?ケガをするかもしれない、練習を軽くしろ?眠てーこと言ってんじゃねーよ。」

 宮本の手を払いのける。

「練習を軽くして部に戻ってどーなる。来年の1年にレギュラー取られるわけか。で、最後の大会をベンチで応援すんのか。」

「……………!!」

 宮本は頭を強く打たれた感覚に陥った。そうなのである。別に人数は今現在足りないだけであって、来年になれば1年生が加わるのだ。

 まして、今年美羽高野球部が有名になった影響で、おそらく自分より力のある選手が何人もやってくるだろう。別に美咲は宮本や服部を居残りまでして鍛える必要などないのである。

 だとすれば、美咲がこれまで二人を厳しくシゴいてきた理由はひとつしかない。

「お前、今まで何かに全力で打ち込んで達成したことないだろ。胸張ってオレはこれをやって来た!って言えることねえだろ。」

「………………。」

「中学まで何をやっても半端。高校で野球をやってみても中途半端。また何も残らない3年間を繰り返すのか。」

 そう言った美咲の目は酷く寂しそうに見えた。

「……………。」

「そこんトコもう一度よく考えてみろ。」

 そのまま美咲は階段を下りていった。

「……………!!」

 宮本は放心状態のまま膝をついた。

「宮本君……。」

「四郎……。」

 宮本は震えていた。しかしあえて明彦は言った。

「こう言っちゃ何だけど、今ぐらいの練習を続けないと、来年の1年生に多分二人ともレギュラーを取られちゃうと思うんだ…。」

「………。」

「美咲さんの力はズバ抜けてる。甲子園目指せる力もあると思う。しかもウチは名門じゃないからレギュラーも取りやすい。名門からの誘いを蹴って美羽に来ようとする学生もいるらしいんだよ。そうすれば1年でいきなり全国の舞台に立てるかもしれないからね。」

「……………。」

「ウチも勝たなきゃいけないから最終的には力のある選手をレギュラーにしなきゃいけない。来年の夏に君たちの力が1年生より下だったらレギュラーから外さなきゃいけないんだ…。」

「……………。」

「美咲さんは今のみんなで一緒に戦って行きたいと思って…、」

「アキ!!」

 明彦の言葉を遮って宮本が叫んだ。

「皆まで言うな…。」

「宮本君……。」

「オレ…、オレ、今すっげぇ悔しい……。」

「………。」

「美咲に対してじゃなくて。自分がこんなに嫌だと思ったのは初めてだ…!!」

 宮本の目から大粒の涙がこぼれた。

「美咲の言うとおりだよ…。今まで何をやっても中途半端で……。辛いことがあったらすぐ逃げ出して…。そのたびに自分のだらしなさを棚に上げて周りのせいにしてきたんだ……!!」

「四郎……!」

 服部もいつの間にか泣いていた。ほとんど宮本と同じように生きてきた彼だから、宮本と全く同じ心境になっていた。

「オレはさぁ、嫌なんだよ。自分自身が嫌だ!こんな…、こんなオレみてーなダメ人間大嫌いだ!!」

 ついに感極まって宮本も服部も声を上げて泣き出した。

「ダメなんだよ。いつも同じことの繰り返しなんだ。そういう自分が嫌いなのに、辛いことにぶつかるとすぐに逃げ出したくなる自分がいるんだ…。

 自分に対する不甲斐なさ、そしてそれから常に目をそらし続けて逃げ続けた自分に対し彼らは憤っていた。

「それは誰だって同じじゃないかな。」

「………?」

「辛いことから逃げたいと思うのはみんな同じだよ。僕も美咲さんもそうだと思う。ただ、そこでその気持ちに負けないことが大事なんじゃないかな。」

「………。」

「もう一回…、頑張ってみようよ。」

「アキ……。」

「まだやり直せるよ。初めからダメだとか決め付けないでさ。」

「………。」

「それにこの前、美咲さん二人のこと誉めてたんだよ。よく頑張ってるって。必死でやってるから、今は苦しいかもしれないけどすぐに上手くなれるって。やればきっとできるようになるよ。」

「美咲が……?」

「うん。すごく嬉しそうに言ってたよ。」

「そうか……。」

「四郎…、やろうぜ!このままじゃ今度もダメなまんまだぞ!」

「……………や、やるか……。もういっぺん…。」

「!」

「もう一度頑張ってみるよ。このままじゃ美咲の言うように今度もホントに負け犬だ。オレも頑張って何かをやり遂げたい。」

「宮本君!」

「四郎!!」

 明彦も服部も心底嬉しそうな顔を見せた。

 それが照れくさかったのか、宮本はおどけるように言った。

「問題は美咲が許してくれるかだけどな。」

「大丈夫だよ。美咲さんもきっと喜ぶよ。」

「どーかな〜。顔の形が変わるまで殴られるかもよ。」

「お、おいおい、功一。おどかすなよ。ナンパが出来なくなったらどーするんだって。」

「はははは…。」

 屋上で3人の笑い声が響き渡る。空はすがすがしく晴れ渡っていた。

 

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