seen26 あかねの脅迫

 

―――練習試合とはいえ、無名の美羽高校が名門BL学園に引き分けた―――

―――注目の女性投手の超剛速球が150キロを記録した―――

 このニュースは日本中を揺るがした。

 女性投手が高校野球の舞台で通用する事を証明したからである。

 美咲とあかねにとっては、世論の大きな後押しが今後期待できるのは疑う余地の無いところとなった。

 

 注目の女性投手の一人、新田あかねはとある豪邸の前に立っていた。

 表札には「結城」と書かれている。

(…遅いわね……。)

 本格的にあかねが苛つき始めたとき、巻き毛のポニーテール少女が姿を見せた。

 結城麗羅である。

「わたくしに話がある…というのは貴女かしら。」

「そうよ。」

「で、貴女は何者なんですの?」

「霧野美咲の親友とでも言っておきましょうか。」

 麗羅は自分がこの世で最も目の敵にしている人物の名を出されたので表情が険しくなった。

「あら、そう。で、その美咲さんの御友人がわたくしに何の用かしら?」

「単刀直入に言うわ。貴女のお父さんは各方面に顔が効くでしょう。高校野球の女性の出場許可獲得を後押ししてもらえないかな。」

それを聞いて麗羅は笑い出した。

「あははははっ!!何を言い出すかと思えば…!」

 ここで口調が一気に変わる。

「残念でしたわね。わたくし、霧野美咲がこの世で一番嫌いなんですの。誰があんな女なんかの為に力を貸すもんですか。」

 しかし、あかねはひるむ様子は微塵もみせない。むしろ、麗羅をあざ笑うかのような表情さえ浮かべている。

「ンなことぐらい、とっくに知ってるわよ。そもそも、美咲っちの替え玉出場を密告したのはアンタだもんね。」

 予想外のあかねの言葉に思わず麗羅は狼狽した。

「なっ…何を言い出すの、貴女は!」

「とぼけたって無駄よ。ネタは上がってるんだからね。美咲っちが替え玉出場してるのがバレたおかげで、あたしも疑われてあっさりと発覚してしまった。美咲っちさえバレなければ、今ごろあたしは甲子園で投げてたはずなんだからね。」

「……………ふん。それは、お気の毒でしたわね。」

「ムカついたわよ。新聞によると自然にバレたんじゃなくて、美羽高の生徒が密告したって言うじゃない。」

「ふん。それがわたくしだという証拠があるんですの?」

「この前名古屋で美咲っちと合同記者会見したときに、集まった記者に逆取材したわけよ。この生徒は誰かってね。」

 麗羅の表情が一層険しくなる。

「全部の記者が口が堅いわけじゃないからね。今日の記者会見で爆弾発言するからって言ったら舞い上がって簡単に教えてくれたわ。結城理事長の娘さんだってね。」

 この地域では麗羅の父は相当の実力者であり、その娘である麗羅はかなり有名なのであった。麗羅は一生徒の密告のつもりでも、相手は麗羅の事を知っていたのだ。

 麗羅の頬を冷や汗がつたう。

「………………で?わたくしをゆするつもりですの…。」

「ゆするなんて人聞きの悪い。あたしはお願いに来ただけよ。女性選手出場許可獲得の後押しをしてもらうね…。」

「イヤだと言ったら?」

「さあねぇ。どうしようかしら。まずは美咲っちにバラそっか。あのコの事だから、きっと只じゃ済まないだろうけどね。それから…、そうそう。新聞部の明美ってコに聞いたわよ。」

「……何を!?」

「野球部の神田君の事が好きらしいわね。いいのかしら〜?好きな人の夢を潰すような真似をして〜。」

 神田の名を聞いてさすがに麗羅の顔色が変わった。

「こんなことを知ったら神田君はアンタの事を軽蔑するわね。まあ、自業自得ってヤツ?」

「俊也様にもバラす気!?」

「それはアンタ次第ね。」

「くっ……!」

 しばらく押し黙っていたが、とうとう麗羅は叫ぶように答えた。

「分かったわ!分かりましたわ!!お父様にはわたくしの方からお願いしておきますわ!!」

「あら〜、悪いわねぇ。助かるわぁ。さっすが麗羅ちゃん!アンタの大好きな美咲っちもきっと喜ぶよ〜!」

「うぐぐ…!!」

「約束はもちろん守るわよね。」

 あかねはさらに念を押した。

「守りますわ!そのかわり、あなたこそこの話を他言したら許しませんことよ!!」

「はいはい。あたしはチクるなんてことは嫌いだからね、誰かさんと違って。」

「キ〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」

 思い通り行った。勝利を噛み締めるように、あかねは拳を強く握りしめた。

 

 

「アキ。副主将はお前やってくれ。」

「え、ボク?」

 美咲は明彦を副主将に指名した。いかにも美咲らしく何の前提も前触れもなく、いきなり重大事をポンと切り出してきたので明彦もさすがに戸惑った。

 しかし美咲に頼られていると思うとだんだん嬉しさが込み上げてきた。

 対照的に収まりがつかないのが神田である。

「ちょっと待った!オレは!? 」

「ダメだ。お前とオレじゃ性格のタイプが似すぎてる。細かい所まで気が利くアキの方がチームにとってはいいと思う。」

「むぐぅ!」

 正論で返されたため神田はこれ以上言い返せなくなってしまった。

「それより、これからどうするかだけどさ。」

「8人に戻っちゃったもんね。」

「ショートのゴボウ先輩の抜けた穴は近藤で埋めれるだろ。」

「ゴボウ先輩?」

「甲斐先輩。あの人ゴボウみたいじゃん。」

「ひ…ひどい……。」

 問題は荻原の抜けた穴をどう埋めるかである。

「問題は荻原のオッサンの抜けた穴だよな。」

「神田君…。オッサンって……。」

「何だかんだ言ってもウチのチームで一番打撃が安定してたのはオッサンだったからな。」

「み…美咲さんまで…。」

「まあ、その心配なら無用だ。オッサンをはるかに凌ぐスラッガーが入部することになってる。」

 美咲が物凄いことを言い出した。

「ええっ!?そうなの!誰か心当たりが!?」

「あるにはある。でも4月までかかる。」

「来年じゃねえか。」

「まあ、楽しみにしてな。多分大丈夫だ。」

「た…、多分っていうのが気になるんだけど。」

 来年の1年生に期待するということなのだろうか。だとすると随分確実性の乏しい話であるが、美咲は妙に自信がありそうだった。

(これだけ自信があるという事は何か心当たりがあるのかも知れない。美咲さんに任せてみよう…。)

 

―――放課後。

 新キャプテンに就任した美咲は部員達の前で挨拶をしなければならない。

 本来の性質が照れ屋である美咲はこういう注目を浴びて喋るのは好きではなかった。

 例のテレビ出演の時も主にまくし立てたのはあかねで、美咲はうつむいて黙っていただけなのだ。

 試合中に注目を浴びるのはアドレナリンが大量に分泌して興奮状態になっているから平気なだけにすぎないのである。

 その美咲が照れを隠しながら挨拶をするとどうなるのか?

 こうなるのである。

「つーわけで、今日からオレが主将になったから。メチャクチャにしごきまくるから覚悟しとけよ!」

 すごくぶっきらぼうである。何も知らない人が見たら眉をひそめるだろうが、チームメイトはみんな美咲のことを良く知った仲なので美咲らしいと微笑ましく映ったのだった。

 準備運動、ストレッチ、ランニング、キャッチボール、ベースランニングと基本的な練習を済ませてノック、連携プレーの練習に移る。

 ノックでは今までよりもさらに前で捕球するように心がけた。

 BL戦での内野安打の記憶も新しく、今まで通りの守備では強豪相手には通用しないと判断したからである。

 特に神田の子分の宮本と服部の二人は、入部するまで少年野球程度を少しかじった程度の野球経験しかなかったので、連日居残りで特守をさせる事にした。

 昔の彼らなら不満を漏らしたに違いないが、強豪との練習試合や、日に日に高まる美羽高野球部の評判などの背景から自分も必死でついていこうという自覚が芽生えてきていた。

 ケガがほぼ完治した近藤も練習に戻っている。

 もともと近藤は野球部の中では上手い方だったので、ブランクは復帰後しばらく守備連携の練習に多少影響した程度で、充分甲斐の抜けた穴を埋められるメドが立った。

 

 

 この日の練習は初日ということで軽めに終わらせたが、美咲と明彦が水淵に呼ばれた。

「宮本と服部のノックはお前たちでやってくれ。オレは神田に話がある。」

 水淵はそう言って半ば押しつけるように美咲にノックバットを渡した。

「お、おい!…ったく何なんだよ。」

「神田君に話って何だろうね。」

「さあね。それよりノックしてやんないとな。おーい、アゴ、アゴ無し!準備いいか!?」

 美咲がノックをして、明彦が返球を受ける形式である。

 上手くなってきたらアメリカンノックに切り替える予定だ。

 

「オレに話って?」

「以前から気になってたんだが…、この前の練習試合で確信したことがある。」

「なんだよ?」

「お前、変化球打てないだろ?」

「………!!」

 神田の表情がこわばり、肯定も否定もせずただ苦笑いした。

「やっぱりそうか。速球投手にはついていくのに、やけに変化球投手に率が悪いと思ってたんだ。」

 不安が的中してしまい水淵は少々困り顔だ。

「で、でもよ。直球を狙えばそれでいいじゃん。心配することねえって!」

「変化球を打てない打者相手に直球を投げてくれるほど相手は甘くないぞ。もうお前の変化球に対する弱さは他校に掴まれてるはずだ。変化球打ちをマスターするしかない。」

「むう…。」

「ウチは打線が弱い。せっかく刈谷や立花がランナーに出ても、ヒットで返せるのが現時点では美咲とお前しかいないんだ。それでお前が変化球を打てないとしたらどうだ?」

「…美咲を…敬遠して、……オレ勝負か…。」

「そうなるな。」

 さすがに神田も考え込んだ。このままでは点が取れない。

「カーブとスライダーならオレも投げられる。練習していくか、神田。」

 神田の決断は早い。やるしかないのなら迷う必要はないのだ。

「おう!絶対打てるようになってみせるぜ!!」

 こうして神田の居残り特打が始まった。

 

 

 美咲によるノックもだんだん熱を帯びてきた。

「身体の正面で捕れ!正面で!こぼしても身体に当てて前に転がすんだ!!」

カキッ。

「無理して早く送球しなくてもいいから!まずはしっかり捕る力を付けろ!」

カキッ。

「ホラぁ!ボールを怖がってんじゃねえよ!!」

カキッ。

「もうくたびれたのか!?動きが鈍いぞ!」

カキッ。

「もう一歩前ぇ!!」

 下校していく生徒達の帰り際にそのノックの光景が目に入る。

「野球部…やってるなぁ…。」

「しかし、相変わらず霧野は怖ぇな。」

 思わず苦笑する男子生徒。

「やっぱり大変なんだろうな〜。野球なんて一人で勝っていけるモンじゃないしさ。」

 この光景は美羽高ではお馴染みの光景となるのだった。

 

 

 さて、日付は変わってこの日も部活終了で一時解散した。

「先輩!」

 いつものように居残り練習を始めると香田がグローブを付けてノック中の美咲と明彦の所にやって来た。

「ん?どうしたクリボー。お前は帰っていいぞ。」

「先輩、オレも手伝わせてください!神田先輩も、宮本先輩も、服部先輩もみんな頑張って練習してるのに、オレが何もせずに帰るのは気が済まないっス!!」

「クリボー…、お前……。」

 香田の目は燃えていた。もともと熱血漢なのだ。

(コイツはこーゆートコが可愛いよな。)

 美咲は微笑んだ。

「おし!よく言ったクリボー!じゃあ球拾いやってくれるか?アイツらよく後ろに逸らすからよ。」

「分かりました!!」

 こうなると残りの近藤と刈谷も帰るわけには行かなくなった。

「オレらもつき合うよ、美咲、アキ。」

「そっか。じゃあ、神田の方を手伝ってやってくれ。」

 神田の特打の方に向かっていく二人の後ろ姿を見ながら明彦は良い学校に来たと思った。

 

 そんなある日、ついに高野連からの通達が来た。

「ついに決定が来たぞ。」

 全員が息を呑んでその報告に耳を澄ます中、水淵がその内容を読み上げる。

「コホン。今回の件について話し合った結果……。原則として、女性の高校野球出場は認めない。」

 全員に衝撃が走る。

「そ…、そんな……。」

「ちくしょう…やっぱりダメなのかよ……!!」

 悔しさ余って美咲が壁を叩く。

「あんなに頑張って署名を集めたりしたのに…。」

 全員落胆の色が隠せない。

「まだ続きがある。ただし、今回の件における、霧野美咲、新田あかねの両名については、その実力が超高校級であることを認め、特例として出場を認める事とする。」

「ほっ…ホントか!?」

 今度は全員色めき立った。

「やったあ!!」

「これで美咲が投げられるぞ!」

「ああ。美咲が投げられるなら…、いけるかもしれないぞ!!」

 水淵もほっとした表情だ。教え子に対する喜びもそうだが、自分の責任問題も形の上ではこれで回避された。

「ただし…、替え玉出場に対する罰として、美羽高校と首里商業は秋の地方大会は出場停止処分とする。まあ、春の甲子園はダメってことだな。」

「う〜ん…。とすると、チャンスは来年の夏、1回キリってことか…。」

「まあ、これぐらいは言われるだろうな。」

 多少沈んだ気分になったが、少なくともこれで大きく前進したことには変わりはない。

「ま、頭の堅いお偉いさん達にしては随分と譲歩してくれた方なんじゃないの?」

 この裏には、度重なるアピールが功を奏した世論の後押しと、麗羅の父の方からの援助も多少影響したのかもしれない。

 部室に明美と麗羅がやって来た。

「ねえ、結果が出たんだって!?どうなったの?」

「何とか出場できるってさ。来年の夏だけだけどな。」

「そっかぁ!良かったじゃん、おめでとう!!みんなの熱意が通じたんだね!」

 そこで美咲が顔を真っ赤にしてつぶやいた。

「そ…、その…。みんな…、あり……、サ、サンキュな…。」

 意外な美咲の言葉に一瞬みんな言葉を失った。

「も…っ、もういいだろ!ジロジロ見んな!さあ、練習するぞ!ホラ、モタモタしてんじゃねー!!」

「ふふっ。照れちゃって。かーわい!」

「うるせえ!出てけ部外者!!」

 部員達は笑いをこらえるながらグラウンドに散らばっていった。

「ったく、どいつもこいつも…。」

「わたくしにも感謝して頂きたいですわね、美咲さん。」

「あぁ?」

「この件はわたくしがお父さまに取り成しをお願いしたから上手くいったんですのよ。」

「……まあ、たしかに結果的にはお前のおかげだけどな。種まいたのもお前、刈り取ったのもお前。」

(………!!…なっ…なぜ、それを知って…!?)

「意外ってツラしてんな。それぐらいオレ様はお見通しだぜ。あかねが新聞記者からお前の事聞いたその場にオレも居たんだよ。」

「……………!!」

「今回は大目に見てやるけど、次ナメた真似したらタダじゃおかねえからな。」

 くるりと麗羅に背を向けて美咲もグラウンドへ向かった。

 麗羅はあかねの言葉を思い出していた。

(ということは…、ということは……、美咲さんは始めから知って……!くっ…!あっ、あの女っ…!!よくも!よくもわたくしをペテンにかけましたわねっ……!!)

 結果的に美咲の出場権を獲得するために一番暗躍したのは麗羅ということである。まったく怒りのやり場がない麗羅は歯ぎしりするしかなかった。

「くっ…、悔しいですわ〜〜〜〜っ!!」

 きっとあかねは、今ごろ沖縄の空の下で「人を騙すのなんて、ほんとカンタンよね〜」と赤い舌を出しているに違いない。

 

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