seen25 美咲主将就任
ハリケーンの猛威は続く。
2番打者が送りバントと見せかけてヒッティングに切り替える。
「しまった!」
打球はセカンドの明彦の頭上を越えてライト前へ。
経験の浅い服部の守備の乱れを見るや、1塁ランナーは2塁を蹴って一気に3塁を陥れた。
「うふふ。美咲っち、どうする〜?ピンチでハリケーンの中核を迎えちゃったねぇ。」
これから楽しみにしていた映画でも見るかのような顔であかねはマウンドを見つめる。
そのマウンドには野手が集まっていた。
「美咲さんゴメン。バスターを読めなかった…。」
暗い表情の明彦の頭を軽くグローブで叩く。
「いちいちそんな事気にすんな。」
そしてチラッとBLベンチのネクストバッターズサークルを見る。
「このあとをどう抑えるかだな。」
「1点は仕方がない。それ以上の点をやらないことだ。」
「…分かった。内野は無理にホームを狙うな。ダブルプレーが狙えそうならセカンド。難しいと判断したらファーストに送球だ。」
荻原が決断を下してそれぞれ元の位置に戻る。
3番は福宮。とにかくミートの上手い選手である。
「フク!あんまり本気で打つなや。可愛い子が悲しむ姿は見たくないさかいな。」
「よく言うよ。オレが打ち損じたらこの後お前が打ち崩すくせに。」
この後は、BL最強スラッガーの森。さらに長打力でその森に引けを取らない秋田が続く。
とにかく気が抜けない打線なのである。
初球のストレート、きわどいコースだがカット。
2球目はわずかに外れてボール。
3球目もカット。
4球目もこれまたカット。
「えげつないわね〜。良いコースに来てるのはみんなファールにしてるわ。」
あかねが頭をかきながらため息をついた。
(くっそー。こいつきわどいコースは初めっから打つ気ねえな…。)
バックを見る。
(打たせるしかないか…。後は頼むぜ!)
意を決して美咲はボール一個分ストライクゾーンに入れてきた。
福宮はそれを一気に振り抜く。
カキィン!
軽やかな金属音と共に打球が外野へと飛んでいく。
「おっしゃー!これは外野破ったで!走者一掃や!!」
右中間のまん真ん中に打球が飛んでいく。
誰もが外野を破ったと思ったその時。
「あっ!!」
俊足を飛ばしてセンターの刈谷が滑り込み、見事このヒット性の当たりをファインプレーした。
「おおっ!!」
「あっ・・!あかん!ファーストランナー戻れ!!」
しかし、ファーストランナーは一気にホームインするつもりで走っていたので、1塁に戻り切れなかった。
3塁ランナーは、万一に備えて三本間の途中までしか進んでいなかったので、ひとまず引き返してタッチアップでホームインした。
BL先制。しかし、美羽に悲壮感はない。
「オッケーオッケー!ランナー消えた!こっからだ!」
形はどうあれ、予定どおりランナーは消えたのである。
最小の被害で凌いだと言えた。
「すごいじゃん…。あのセンター…。」
あかねが呆然とすれば、BLの選手たち報道陣も感心しきりだった。
「すごいでアイツ!あんなん捕られるとは思わへんかった!」
「なるほど…。美羽はセンターラインはそれなりにしっかりしてるみたいだな。」
センターラインとは、キャッチャー、ピッチャー、セカンド、ショート、センターの5人。正確にはキャッチャーは大したことないのだが。
「ちぇ〜!ランナー居らんなってしもたやないか。せっかく見せ場やのに。」
4番の森が打席に入る。
美咲はさっきの刈谷の好捕を見て考えを改めていた。
(やっぱり、オレはどっかに打たせようと考えすぎるのは良くねーな。どんどん向かっていって、それで打たれてもこうやって守ってもらえるんだし。)
要するに、思い切り向かっていこうと決めた。それでどこへ打ち返されるかは、打球に聞いてくれというヤツである。
もちろん望む所に打ち返させられる方が優れているのは間違いないが、美咲のように速球でグイグイ押すタイプの投手の場合、打たせることを意識し過ぎると球を置きにいってしまう、つまり球の勢いが損なわれてしまうのだ。
開き直った美咲が投げた第1球目。
「よっしゃ!ホームランボールや!」
しかし森のバットは空を切った。
「なんやて!?」
その瞬間報道陣がどよめき立つ。
「おおっ!145が出たぞ!!」
美咲の第2球。
これもストレート、バットには当たったが、完全に振り遅れてファールになった。
「くっ…!急に速なったんちゃうか、このピッチャー…!?」
戸惑う森をあざ笑うように、次の美咲の3球目もミットに突き刺さる。
「ストライク!バッターアウッ!!」
これもまた完全に振り遅れての三球三振であった。
(嘘や…!こんな完全に振り遅れるやなんて!)
颯爽とマウンドを降りていく美咲を見ながら森は歯がみした。
同じように驚きを隠せないのはBLの浅利監督であった。
「い…、今のは何キロ出たんですか?」
報道陣に逆取材する。
「今のは…、144キロですね。」
「信じられん…。144キロは確かにすごいが……、直球が来ると読んでいて、3球も連続で森が振り遅れるなんて……。」
140中盤と聞いた森も信じられなかった。
「今のが144!?アホな!あれは150出とるはずや!!」
美咲の超剛速球に神田も驚いていた。
「すっげー手が痛かった…!この前の試合より速くなってんじゃねえか?」
「夏場はオレは強いんだよ。」
「夏場だと速くなるもんなのか?」
神田は納得行かないのか首をかしげるばかりだった。
「ははは。それより、1点取られちまったからさ。ちゃんと追いついてくれよな。」
「刈谷ク〜ン!カァッコイイ〜!!」
あかねが先ほどファインプレーの刈谷に黄色い声援を送る。
「フン。」
刈谷はまったく反応を示さなかった。
「あ〜ん、クールね〜。でも、そこがまたカッコイイわ〜。ねえ、美咲っちもそう思わない?」
「何しに来てんだよ、てめえ。」
2回表の攻撃、先頭の4番荻原が凡退し、次は神田の打席である。
初球のストレート、神田はとにかく打席では打ちたいばかりなので、じっくりボールを見るようなことはしない。初めからブンブン振り回すのだ。
初球はタイミングが全然あわず空振り。
勢い余って尻もちを付くような不格好な空振りだったため周囲からどっと笑いがこぼれた。
「おいおいおい。みっともねーなー…。」
「神田!美羽の恥をさらすなよ!!」
味方からもヤジられて神田はムキになって返した。
「バカヤロー!見てろよ!もうタイミングは掴んだ!次はスタンドにぶち込んでやるぜ!!」
打席で構え直す神田。
(矢沢、こんなのの言うことは気にするな。タイミングを掴んだなんてハッタリだ、もう一球直球で来い。)
先ほどの空振りを見ているので、神田を甘く見るのも仕方がないことだった。
「ドンピシャ!」
キィンン!!
「あっ!」
「おおっ!!」
神田の打球は物凄い勢いでレフトスタンドへと伸びていった。
しかし打球はわずかに左へと切れていった。
「ファール!」
「ああ〜、惜しい!当たりは文句無しだったのに!!」
さすがにバッテリーもこのパワーには心胆を寒からしめられた。
(甘く見すぎたか…。どうも直球には強そうだ。変化球でかわそう。)
変化球主体の投球に切り替えられては、直球しか頭にない神田は手のうちようが無かった。
「ストライクバッターアウト!」
相手をヒヤリとはさせたが、結果は三球三振であった。
「アレで決めたかったね。きっと神田君にもう直球来ないと思うよ。」
苦笑いしながら明彦が言う。
「なに、変化球って分かってるなら何とかなるだろ。」
美咲は明彦の心配をさして気にしなかった。
結局2回も三者凡退。スコアは1−0のままである。
守備につく前に美咲がゲキをとばした。
「さあ、気持ち切り替えていこうぜ!相手の打球は確かに今までの相手とは段違いだけどさ、オレ達は主将の美羽高名物『根性ノック』を受けてきてるんだからな!」
根性ノックとは、美羽高校に代々伝わる悪しき伝統である。
ノックには違いないのだが、やたら超至近距離でそれもフルスイングするのだ。
野球部のメンバーが足りなくて、ノックやキャッチボールぐらいしかする事がなかった頃、ボールに対する恐怖心の克服と俊敏性を磨くためなどと屁理屈を付けて歴代の主将の誰かがやり始めた練習らしい。
一説には美羽の野球部の入部希望者が少ないのはこの『根性ノック』のせいとも言われている。
「あれに比べたらBLの打球なんて屁みてーなモンだろ。」
「はははは!まったくだ!アレよりはマシだよな!」
ここで、相手が名門校という重圧に雁字搦めになっていた事をみんな自覚した。
「ガンガン攻めていくからよ。打ち返されたときは頼むぜ。」
ここからは美咲の反撃開始だった。
強力打線をモノともせず5、6、7番を三者凡退に打ち取る。
さすがのハリケーンもこの美咲の人が変わったようなピッチングに圧倒されていた。
その様子を水淵もようやくホッとした様子で眺めていた。
(1点取られてから、急に良いフォームになった。ひょっとしたら、開き直ったのかな。歩幅をさらに半歩ぐらい広く取るようになって球の勢いがさらに増した。)
そして、確信に近いものを感じ取った。
(…あれが美咲のベストのピッチングフォームかもしれん。この夏はあのフォームをモノにさせよう。)
勢いに乗った美咲はハリケーンにビクともしなかった。
特に途中からは剛速球だけでなくスローカーブも上手く組み込んでいったので、美咲のデータが無いBLとしては、もはや手も足も出ない状態だった。
美咲が勢いに乗ったその上、報道陣全員が美咲の好投を期待しているこの異様な雰囲気に今度はBL側が飲まれてしまったのである。
「流れが変わってしもうたのう。浅利君。」
「…そうですね。試合経験が乏しい1、2年生というのはありますが……、これこそウチが今大会で甲子園に出られなかった理由かも知れません。」
「ふむ。じゃが、これも良い経験になるじゃろう。」
「はい。この試合はBL、美羽両校にとってプラスになると思います。藤岡さんの頼みを聞いて正解でしたよ。」
この間にBLの攻撃は終了。6回を終えてスコアは依然1−0。最終回の7回に入った。
荻原を中心に円陣を組む。
「さあ!いよいよ最後の攻撃だ!スミ1で負けるなんてゴメンだからな!そろそろ美羽の底力を見せてやろうぜ!!」
打順は2番の明彦からだった。
(何としても塁に出るんだ!)
10球近く粘った明彦はついに四球を選んだ。待って手に入れた四球ではなく、気迫でつかみ取った四球だった。
「よーし、えらいぞアキ!」
美咲が打席に入る。
「浅利君。よく見ときんさい。あの子はチャンスのときの集中力はハンパじゃないから。」
美咲はバントの構えをとる。
2球ボール球だったのでバットを引いた。これでカウントは0−2。
「矢沢!かまわん!バントしたければさせてやれ!」
3球目。明彦がスタートを切る。BL内野陣も送りバントを阻止しようと前に詰めかけてくる。
しかし、急きょ美咲はヒッティングに切り替えた。
カキィン!
打球はファーストを強襲。そのままライトへ転がっていく。
早めにスタートを切っていた明彦はそのまま3塁に到達した。
ノーアウト1塁3塁。絶好のチャンスである。
「うまい…!あれだけ見事にバスターを決めるのは相当技術がないと…。」
「うむ。あと精神力もな。」
奇しくも初回BLが先制点を挙げたのと同じパターンでチャンスを拡大した。
バッターは主将・荻原。
「ブッチ先生。スクイズ行きますか?」
水淵は首を横に振った。
「お前の高校3年間、最後の打席だ。思い切り打ってこい。それにお前、バントは大嫌いなんだろうが。」
「はいっ!」
荻原が打席に入る。
(霧野…。お前には感謝してるぞ…。メンバーも揃わずに、このまま3年間終わると思っていたオレたちが、勝利の喜びを知って、今日もこれだけ注目される中で、練習試合とはいえ名門校と対戦してるなんてな。まるで夢でも見てるみたいだ。)
一度一塁ベース上の美咲をチラッと見て、
(打つぞ!打って、お前に今後の出場権を絶対つかみ取らせてやる!!)
キッとピッチャーを睨み付けた。
荻原の打球は痛烈だがピッチャー正面のゴロ。
ピッチャーが捕れなくてもショートがすぐに捕球出来る打球のはずであった。
しかし、打球がプレートに当たり打球の転がる方向が変わる。
「げっ!!」
逆を突かれた野手がボールを追いかけている間に明彦がホームインして1−1の同点になった。
「やった!!同点だ!同点!!」
「イレギュラーで助かった!」
歓喜に湧く美羽ベンチ。
格好は良くなかったが、名門BL相手についに最終回、同点に追いついた。
「よーし!一気に勝ち越しだ!頼むぞ神田!!」
ここまで神田は3三振。まるで良い所がない。
「おお!!任しとけ!!」
ノーアウト、ランナー1塁2塁。見せ場で登場の神田だったが…、
「こんなションベンカーブ…!!」
簡単に三球三振に倒れた。
続く、甲斐、服部も凡退し、同点止まり。
あとは、美咲が相手の攻撃を抑えれば引き分けである。
BLも円陣を組んで美咲攻略に気合を入れたが、今日の美咲は絶好調でやはり打ち崩せる相手ではなかった。
「はっはっは!さあ、最後は史上最強のエンターテーナー霧野美咲の奪三振ショーで締めくくってやるぜ!!」
快速球とスローカーブによる時間差の魔術の前に強力ハリケーン打線のバットがクルクル空を切る。
そして、ラストバッターとの対戦のときについにそれは出た。
「でっ…出た―――っ!!150キロ――――ッ!!」
報道陣が色めき立つ。BL打線を初回の1点のみに抑え、奪った三振は11個。しかも最後の最後で150キロ速球のおまけ付きである。
これほどの投手を出場させない訳にもいくまいと、明日の記事は今日のたった一つの練習試合のことで持ちきりだろう。
「1対1。引き分け!礼!」
「ありがとうございました!!」
挨拶が終わると、試合前同様、森が美咲に握手を求めてきた。
今度は美咲も普通に応じた。
「試合は引き分けやけど、内容は完敗や。正直、これほどとは思わんかった。」
「フン、まーな。よーやく分かったか。愚か者。」
森は苦笑した。
「絶対に…、甲子園出て来いな。今日の決着を最高の舞台で決めよーやないか!」
「おう。」
「そん時は今日のようにはいかへんからな!キッチリ研究しとくさかい、覚悟しとき。」
「ははは、次も同じ結果だ。オレ様は研究されたぐらいで打ち込まれるようなヘボピーじゃねーよ。」
「はっ…。いい性格してるで、ホンマ。」
試合が終わるのを確認して、あかねも帰路についた。
「ふふふ。お疲れさま。おかげでBLと美羽、両校のデータが、いーっぱい取れちゃった。協力に感謝するわね、美咲っち。」
そう言って、彼女は小悪魔のような笑みを浮かべていたのだった・・・・・・。
―――夏合宿最後の日、荻原はチームメイトを全員集めた。
「本日を持って、3年生つまりオレと慎一は野球部を引退する。で、次の主将だが…。」
みんなの目が美咲に集中した。
「ん?」
「霧野。お前に頼む。」
「へ?オレ!?」
「お前が一番適任だろう。慎一やブッチ先生とも相談した結果だ。受けてくれるな?」
「でも、オレは…今後の大会に出れるかどうかも分からないんだぜ?」
「出れるさ。オレには分かる。」
「………。」
「このチームを立て直したのはお前だし、オレたちに野球の楽しさ、勝つことの喜びを教えてくれたのもお前だ。公式戦で勝ったのも初めてだった。…まあ、とんだ事になって記録は残らなくなったけどな。」
「あ…。………ご…、ゴメン…。」
自分のせいで、以降の試合に出場できなくなったことを思い出して美咲はバツが悪くなった。
「気にするな。そういうつもりで言ってるんじゃない。お前が居なかったら、勝つどころか出場すらできなかっただろう。それに、BLと対戦出来たこと…、そして引き分けたこと。あれはオレの人生ですごく自慢になるんだからな。本当にお前には感謝してるんだぜ。」
「………。」
「受けてくれるな。お前しか居ないんだ。ここに居るみんなもそう思ってるはずだ。」
しばらく美咲も考え込んだが、意を決するのにさして時間はかからなかった。
「……分かった。やるよ…!」
この言葉と同時に全員が拍手した。
返事を聞いて荻原が美咲の肩を叩く。
「よし!任せたぞ!応援してるからな!」
つづけて甲斐も、
「愛知県は全国でも有数の激戦区、道のりは確かに厳しい。でも、お前ならやれると思う。頑張れよ。」
と激励した。
美咲は感極まって来た照れ隠しか、大声で答えた
「大丈夫だって!オレを誰だと思ってんだよ。天才・霧野美咲様だぞ。甲子園の優勝旗ぐらい軽く持って帰ってきてやらあ!!」
「よし!その意気だ!!」
こうして、荻原と甲斐は引退。美羽高校野球部員はまた8人に逆戻りしたのだった。