seen23 もうひとりの女性投手

 

 停学は明けた。しかし明確な処分はまだ下されていない。

 全く考えられないケースの事件だった事、つまり美咲が男なら何の問題もなく処罰できるのだが、出場権が無いため手段を選べなかったという状況が引っ掛かった。

 また、美羽高校の署名運動以外にも美咲擁護の意見や投書が大量に寄せられた事、そしてもう一つ起こった事件が余計に事をややこしくしていた。

 

 美咲の替え玉出場が発覚した翌日の事。

「おい!美咲!!」

 父親のガラガラ声が響く。

「…んだよ…。朝っぱらから。停学中ぐれーゆっくり寝かせてくれよ。」

「沖縄にもおめーみたいなのが居るぞ!」

「はあ?」

『新時代の幕開けか!?沖縄・首里商業高校にも女性投手!!』

「………。」

「世の中は広いな。おめーみてーなのがもう1人居るのか。」

 美咲はその言葉には反応せず、じっと紙面を凝視しつづけていた。

「…でも、コイツもアウトか……。」

 ため息をついて新聞を置いた。

 

 

 停学が明けて学校に行くと明美がなにやら紙の束を持って来た。

「美咲、プレゼントよ。」

「なんだこりゃ?」

「署名。けっこー集まったでしょ。至る所から集めてきたんだから。」

「………。」

 美咲はかなり複雑な心境だった。

 何しろ停学期間中に、必死で野球の未練を断ち切ろうとしていたのである。

 完全に断ち切れる訳ではないが、多少気持ちが収まりつつあった所だったのだ。

「ったく…、余計な事しやがって。」

「あはは。照れるな照れるな。」

 美咲は半ば本気で言ったのだが、明美は照れ隠しと受け取ったらしい。

 そもそも美咲が素直に礼を言うなんて明美ははじめから考えていなかった。

「ちゃんとアキちゃんと、一応神田にも礼言っときなさいよ。あの二人が一番頑張ったんだから。」

「あいつらが?」

「それにね、もう引退のはずの荻原先輩や甲斐先輩も参加してるのよ。」

「………。」

 そこにちょうど明彦と神田と刈谷が集めた署名を持ってきた。

「美咲さん、停学解けたんだ、良かったね!」

「心配すんな美咲!絶対またマウンドに立てるさ。」

「フン、あんたが居ないとつまらないからな。」

 3人とも恩着せがましい言い方はしない。ただ美咲に野球を続けさせてやりたいという一心である。

 明美も、

「また、投げられるといいね。今度は近藤誠じゃなくて霧野美咲としてさ。」

といって元気付けてくれる。

 急激に野球に対する熱意がわきあがってくるのを感じた。

(こいつら、自分の事でもないのに…。こうまで……。)

 そう思うと同時に、自分が後ろ向きになっていた事が恥ずかしくなった。

 だんだん目頭が熱くなってくる。美咲はおもむろに席を立ち机を叩いた。

「これっぽっちで足りるかよ!オレ様に投げてほしかったら今の3倍は集めて来い!!」

 そう言ってさっさと小走りに教室を出て行ってしまった。

 一瞬ぽかんとしていたが、その後姿を眺めて3人は笑い出した。

 

 

 部活は野球部員が署名運動に出かけてしまうので出来ない。

 本人が署名するのも妙なのでそのまま帰る事にした。

(なんか自分にも出来る事はねえかな…。)

 そう思いながら家にたどり着くと、家の前に見た事の無い女生徒が立っていた。

 美咲は全く見覚えが無いが、向こうは美咲の事を知っているらしく、美咲の姿を見るなり駆け寄ってきた。

「美咲ちゃんだよね!!」

「……そうだけど…、……アンタ誰?」

「やだなー、とぼけちゃって。同じ穴のムジナじゃない。」

と言って気軽にポンポン背中を叩いてくる。明美によく似たタイプだ。

「だから誰だよ。オレはおめーなんか知らねーぞ。」

「へ!?」

 相手は美咲の反応に心底驚いている。

「ほ…本当に分かってない…の?」

 そう言われて見ると何となく見覚えのある顔のような気もしないでもないが、やはりこんな知り合いは居ない。だからキッパリと言い放った。

「知らん。」

「あちゃー。自分ではメジャーだと思ってたのにィ。」

 その言葉に相手はヒザから崩れ落ちる。なかなかオーバーアクションな娘だ。

「もう…、しょうがないなぁ。じゃ、自己紹介するね。あたしは新田あかね。沖縄の首里商業高校のエースよ!!」

「!!」

「ふふ。さすがにここまで言えば分かってくれたみたいね。」

「お前が…!」

「そう。つまりあなたとは同志ってワケ。」

「……沖縄からわざわざこんなトコまで来たのか!?学校はどうした。」

 とてもしょっちゅう学校をサボってる美咲のセリフとは思えない。

「えへへ。サボっちゃった。それより今日ここに来たのは大事な話があるからよ。」

「大事な話?」

「美咲ちゃんは署名運動とかやってるみたいだけど。」

「それが?」

「本当にこんな署名運動ぐらいでどうにかなると思う?」

「………。」

 痛い所を突かれた。明彦達の頑張りには感謝しているが、これだけで出場権を獲得できるとは思えない。

「無理でしょ。一時的にこの付近では盛り上がるかもしれないけど、そのうち下火になっちゃうのがオチよ。」

「………。」

「それよりさぁ。こんな地域地域じゃなくて、もっと日本全国規模のでっかい花火打ち上げちゃおうよ!!」

「どうやって。」

「あのね。ゴニョゴニョゴニョ……。」

 美咲は手を叩いた。

「いいな、それ!!」

「でしょ!もう実は手回しは済んでるのよ。善は急げ!今すぐ行きましょ!!」

「おしっ!!」

 

 

 美咲の父親が仕事を終えて帰ってきた。

 実は何だかんだ言って彼も会社で同僚から署名を集めてきている。それを渡そうと思って美咲を探したのだが。

「おーい、順平。美咲はどこ行った?」

 順平とは中学3年生の美咲の弟である。彼も美咲同様野球の素質に恵まれており、中学球界では天才と呼ばれスカウト達も注目しているスラッガーに成長していた。とは言うものの顔には、まだまだあどけなさが強く残っている。

「姉ちゃんなら、まだ帰ってないよ。」

「まだ帰ってねえ?どこほっつき歩いてんだ、あのバカは。」

 そう吐き捨てて居間に座ってビールを開ける。

 テレビをつけたらちょうどニュースがやっていた。

『スポーツです。現在列島を騒がせている天才野球少女二人の緊急記者会見がありました。』

「なに!?」

『沖縄、首里商業高校の新田あかねでーす!!』

『愛知県、美羽高校の霧野美咲だ…です!』

 どうもこういうのは美咲よりあかねの方が慣れているらしい。

 後はあかねがまくし立てる。

『あたし達は、女の子だけど甲子園目指してます!!こう言うのもなんだけど、そこらの男の子には絶対負けない自信があります!実際あたしも美咲ちゃんも1回戦は勝ち抜きました!!それなのに!』

 ここで一息。わざと続きを聞かせるようにもったいぶる所なんかは話し慣れている。

『あたし達は女の子という事で失格になりました!これは男女差別だと思います!!ちゃんと出場手続きをすれば出場できるんだったら、替え玉なんか使いません。あたし達にはこれしか方法が無かったんです!!』

 ここまで言ってあかねの目から涙がこぼれ出した。美咲はうつむいている。

『あたし達は出場権を勝ち取るために戦います!!そしてこの美咲ちゃんと甲子園で勝負します!!皆さん、どうか応援して下さい!!そして高野連のみなさん、あたし達も野球に対する情熱は同じです!グラウンドに立ちたいの!!お願いします!!』

 全国ネットを使っての出場宣言である。

「おいおいおいおい…。やりやがったな、こいつら。」

 父親はもう苦笑いするほか無かった。

 特に最後の涙ながらの訴えはかなりの効果があるはずである。

「こりゃ一騒動起きるぞ。」

 この日以降多くの問い合わせや応援、出場請求、二人の対決が見たいなどの電話や手紙が全国から送られてきた。

「バッチリね。」

「お前ウソ泣き上手いな。」

「ホントは二人で泣いた方が面白かったんだけど。」

「オレには無理だ。」

「だからうつむいててもらったのよ。」

「お前の嘘泣き見て思わず吹き出しそうになっちまったよ。」

「ホント。一時はどうなるかと思ったよ。ま、うつむいてたおかげで、嗚咽してる様に見えたからかえって効果的だったけどね。」

 

 

 これだけ女性投手出場に世論が追い風になり、反響を呼ぶといよいよ高野連としても世論を無視できなくなった。

 これが大した事のない選手だったら問題ないが、美咲は145キロを越える速球を持っている、あかねは類い稀な変化球投手であると、二人ともトップクラスの選手であったため、判断が下せなかった。

 この件はいまや甲子園大会よりも注目されるほどになってしまっていたのである。

 

 

「やるだけの事はやった。」

 そう思っても、不安が消えない。うやむやにされておしまい、という可能性がまだ高い。

 何か女性投手の可能性、楽しみというものを世間にアピールできればいいのだが。

 そんな時、美羽高校に一本の電話が入ってきた。

「え…!?はい、はい、はい!ええ、はい!!喜んで!!」

 この電話の内容を水渕が伝えた。

「全員揃ってるか?」

 野球部員7人と元野球部員の荻原、甲斐の2人、そして故障中の近藤の10人が揃っているのを見て水渕が話を切り出した。

「練習試合の申し込みがあった。」

「練習試合、こんな時期に?」

「そう。相手は…、」

 水渕のただならぬ様子に全員が息を呑んだ。

「大阪のBL学園。」

「ええっ!!」

 大阪のBL学園といえば知らない人はいない。今大会では地区予選決勝で惜しくも敗れたが、プロにも多くの名選手を輩出している名門中の名門である。

「どうしても美咲の速球と勝負したいそうだ。確かに向こうとしても最高の練習相手だからな。」

「おもしれー。ついにチャンスが巡ってきたぜ。この練習試合でマスコミを集めて好投を見せれば、かなりの宣伝になるぞ。」

 美咲の目が燃えてきた。

「人数が足りないんだ。悪いが、荻原、甲斐。二人とも試合に出てくれるか?」

「もちろんッスよ、監督。最後の試合、喜んでやらせてもらいます。」

「そうですよ。練習試合とはいえBLとやれるなんて…。」

「そうか。よしっ!じゃあ、そうと決まったら署名運動は一休みだ。今度の練習試合に備えて練習するぞ!!」

 

 

「藤岡さん、藤岡さん!!聞きました?BLと美羽が練習試合するそうですよ!!」

「知っとるよ。」

「まさか、こんな事があるなんて…。いくら霧野がすごいピッチャーだといっても…。」

「ほっほっほ。」

「はっ!!さては、藤岡さん!BLの監督は確か藤岡さんの後輩でしたよね!!」

「さ…、さあ…。何の事かのおっ!?」

「やっぱり…。藤岡さん、霧野が注目浴びない方が都合がいいって言ってたじゃないですか。」

「もう十分注目を浴びとるわい。」

「あ、なるほど。こうやって恩を着せておいて…、って事ですか?」

「アホぬかせ。そんな事知られたらウチの球団が叩かれるわ。」

「じゃあ、どうして?」

「ほっほ。なんとゆーかのう、久々なんじゃよ、これほどわくわくさせてくれる選手に会ったのは。あの娘がどこまでやれるのか…、見てみたくなってな。なーに、じじいの気まぐれじゃよ。」

 

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