seen22 砕け散った夢

 

「ふあ〜。まだ寝足りねーや。」

 眠たいのを我慢して洗面所で歯磨き、洗顔を済ませた美咲。

 多少眠気はとれてきた。

「さて、新聞読も。地区大会の1回戦とはいえ、途中までノーヒットだし、三振も20ぐらい取ったし、なにより速球が145キロ出る投手が無名校から出たとなりゃ、少しぐらいは記事になってるだろ。」

 昨日の余韻を楽しみながら、スキップで新聞を取りに行く。

 

「あや?1面じゃねえか!でっかい写真付き!いやー照れるなぁ、さすが○×スポーツ。見る目があるねぇ。」

 予想外の扱いに自然と顔が緩む。しかし記事を読んだ瞬間顔から血の気が引き、思わず新聞を落としてしまった。

 もう一度新聞を拾いなおして見出し、記事を読みなおす。

 美咲が最も望んでいない事が書かれている。

 読みなおせば読みなおすほどだんだん気持ちに暗い雲が覆い被さってきた。

「………ば…バレた……。」

 しばらくなにも考えられなかった。

 

 

「藤岡さん!見ましたか?今日の新聞記事!!」

「ああ、見たよ。たまげたのう。」

「ええ…。まさか女の子だったなんて…。」

「信じられん…。」

「本物の近藤は練習中に左手を骨折したらしいです。」

「それが証拠になったわけか…。」

「せっかく掘り出し物だったのに残念ですよね。」

「何を言っとる。わしの評価は変わらんよ。」

「え、でも…。」

「知らんのか?今のプロ野球は女性選手もちゃんと認められとるんよ。」

「えーっ!!そうなんですか!?」

「じゃが、もう少し実力を確かめたかったのう。」

「一番怖いのは彼女がこのまま野球をやめる事ですよね。」

「うむ…。ともかくしばらくは様子を見ようじゃないか。」

 

 

 暗い気持ちで学校に出かけようとしている美咲に、父親がノーテンキな声をかける。

「美咲ィ。一躍有名人だな。ガハハハ!」

「他人事だと思って、このクソ親父。」

「まあ、気ィつけて行けや。つってももう囲まれてるだろうけどな。」

「あぁ?」

 ワケの分からない事を…と思って外に出ると…。

「オイ!出てきたぞ!!」

「霧野さん!おはようございます!!」

「今回の替え玉事件は本当ですか!!」

「やはり女性でもマウンドに上がってみたいものなんですか!?」

「その超人的な能力はどうやって身につけたんですか!?」

「いいいいいいいっ!?」

 玄関を出たら報道陣の山!山!山!!

 さすがの美咲も目を丸くした。

「霧野さん!コメントをお願いします!!」

「この件についておそらく高野連から沙汰があると思いますが、今の心境は!?」

「ルール違反についての意識はやはりありますか!?」

「だ――――っ!!うるせー!ノーコメント!!学校に行けねえじゃねえか!!」

 報道陣をかき分けてダッシュで逃げる!!

 道の突き当たりのところで明彦が顔を出した。

「美咲さん!こっちこっち!!」

「おう、アキ。何なんだこりゃ!」

「バレちゃったみたいだね。」

「くそっ…!!」

「こっちもすごいけど、近藤君の方もかなり詰め掛けてるみたい。」

「…悪いコトしちまったな。」

 報道陣もめったにない特ダネを逃してなるかと必死で追いかけてくる。

「あ!逃げたぞ!!」

「待ってください!!」

「せめて一言!!」

「な…、何でこうなるんだよぉ〜〜〜!!」

 

 

 校長室では難しい顔をした教頭と新聞記事を読んで何やらしょんぼりしている校長がいた。

「霧野の処分ですが…。」

「あんまりじゃよ〜。せっかく勝ったのに出場停止じゃなんて〜…。」

「まあ、当然でしょうな。霧野と…顧問の水渕先生にも何らかの処分をせねばなりません。」

「ワシは二人とも悪いことをしたとは思わんのじゃがの〜…。」

「悪いから処罰せねばならんのです。とりあえず、霧野は停学、水渕先生は謹慎処分にして、沙汰待ちとすべきでしょう。」

「悪いようにはならんじゃろうね。」

「さあ…。場合によっては霧野は退学、水渕先生は懲戒免職もやむを得ませんね。」

「そ…それはあんまりじゃ〜…。」

 

 

 美咲は授業をサボって屋上で寝っ転がっていた。

「もう…野球やれねえのかな…。」

 プロには女性でも入れる事ぐらいは美咲も知っている。だが、まさか県大会の1回戦で1回好投しただけでアピールできるとはとても思えない。

 実際は藤岡がかなりマークしているのだが、美咲本人はそんな事知る由もない。

 甲子園優勝は美咲にとっては目標でもあったし、プロの世界に行くためにアピールとして必要でもあったのだ。

(それがもうなくなっちまった…。)

 美咲はまた明彦が転校してくる前の無気力な表情に戻ってきてしまった。

(終わったな…。ま、どうって事ねーさ。元の状態に戻っただけだ。それに初めからこうなる事は覚悟してたし。)

 そう思ってみても気は晴れない。

 さっきから校内放送で校長室に呼び出しが掛かっている。

(どうせ停学だか何だか言われるんだろ。ほっとこ。どうせ家に電話がかかってくるだろ。)

 そこに神田がやって来た。

「美咲ー。授業サボるんならゲーセン行こべーぜ。」

 神田は神田なりに美咲を元気付けようとしているのだろう。

「ああ、いいよ。」

「あ、でも、報道陣に見つかったらヤベーか?」

「いいよ、どうでも。もう退学になろうが知った事じゃない。」

「……美咲…。」

「おい、行くんだろ?」

「あ…、ああ…。」

 

 

 音楽ゲーム、レーシングゲーム、格闘ゲームなど、それらを一通り楽しんだ後パンチングマシーンの前に立った。

「へへー。見てろよ。こう見えてもけっこうパンチ力あるんだぜ。」

 美咲の右ストレートが炸裂。数字はあえて言わないが男性でも腰を抜かすような数値が出たとだけ言っておこう。

「すげーな美咲…。お前ホントに女か?」

「………。」

「あっ!わっ…悪い!!」

「バ…バカだな…!気にすんなよ!もう、甲子園は諦めたんだからさ。」

 つとめて明るい声を出そうとするが、無理をしているのがすぐ分かる。

「……美咲…。」

「それより、やっぱ右はダメだな。利き腕じゃないといい数字が出ねーや。」

 そう言って今度は左腕を振り上げた。

「お…オイ!待てよ!左はダメだろ!!万一痛めたらどうすんだよ!!」

 慌てて神田が制止する。

「いーんだよ。もう使わねーんだから。」

 そう言い捨てると、もうマウンドに上がれない悔しさを全て叩き込むように思いきりパンチングマシーンを殴りつけた。

 

 

「さて、もうオレ帰るわ。」

「え?美咲、学校戻らねえのか?」

「学校戻ったって教頭の説教聞かされるだけだからな。」

「じゃあ、送ってくよ。」

「いや…、わりいけど…一人にしてくれよ。」

「………そ…そうか…。」

 美咲は自分の弱ってる心をこれ以上見られたくなかった。

 神田の好意は痛いほど伝わってくる。だからこそ、それに甘えたくなかった。

 これは美咲のせめてもの抵抗でもあったのだ。

「………。」

「………。」

「今日はありがとな…。気、使ってくれたんだろ。」

「…ハッ…ははは!!これぐらいはお安いご用さ!!礼言われるような事じゃねーって!オレも授業サボりたかったしさ!!」

「……じゃな。」

 神田は美咲が去って行く姿を見えなくなるまでずっと見送っていた。

 いつも勝気な美咲が何か簡単に壊れてしまいそうで不安で不安で仕方がなかった。

「くそっ………!!」

 近くの電柱を思いきり蹴飛ばして、神田は学校へ引き返して行った。

 

 

 美咲はそのまま家には帰らなかった。

 家に帰ればどうせまた報道陣が待ちうけている。そして彼らは美咲の剥き出しになった心を、寄ってたかって踏みにじるだろう。

 人気のない寂れた公園のベンチに座ってうつむいていた。

(もう、野球はやれない。)

 先ほども「元の状態に戻っただけ」と思い直してみたが、そう簡単に割り切れるものではない。

(せめて、晃司ともう一度勝負したかったな…。)

 やっと取り戻しかけた夢が、簡単に砕け散ってしまった。

「ちくしょう…!」

 美咲は左の拳をベンチに叩きつけた。

「ちくしょう!ちくしょう!ちくしょう!!」

 何度も何度も叩きつける。

 しかし野球の為に大切にしてきた左腕を邪険に扱えば扱うほど、自分の置かれた状況が重く心にのしかかってくるのだった。

 皮膚がすりきれて血が滲み出してきた左手を見て、ついに美咲は泣き出した。

 

 

 下校時間。明彦が校門前で次々と下校しようとする生徒に声をかけていた。

「よう。何やってんだ、アキ。」

「あ、神田君。」

「ん?それ、何だ?」

「ああ、署名だよ。」

「署名?」

「うん。このまま終わったんじゃ美咲さんも可哀想だし、僕だって嫌だ。何とかもう一度美咲さんをマウンドに立たせられないかと思って。」

「それで署名か。」

「うん…。こんなのがどれだけ効果あるかは分からないけど。何もしないよりは、何かやってみようと思って。ホラ、今日だけでこれだけ集めたんだよ。」

何やら神田は目からウロコが落ちたような気がした。

(オレも美咲も打つ手なしって諦めてたのに、こいつは……。)

 こうなると神田ももう黙っていられない。

「そっか。よし、オレもやるぞ!おめー一人じゃタカが知れてるからな!!」

「ホント!?助かるよ!!」

「任せとけ!県中…いや、日本中の署名を集めてきてやらー!!」

「うん!!」

「……アキ……。」

「何?」

「……おめーには、…負けねえからな!」

「うん!いっぱい集めてきてよ!僕も頑張る。」

 明彦はそのままの意味で受け取ったが、神田の言葉には別の意味も含まれていた。

 このあと、二人の姿を見かけた他の野球部員達も署名運動に加わった。

 彼らは日が暮れるまで署名集めに奔走した。

 

 

「せんぱーい。新聞部、全員揃いましたー。」

 美羽高校新聞部は出来てからまだ2年目の新しい部である。明美が美羽高校に入った時、同士を募って同好会を結成し、今年から部として昇格したのだった。

 そのため明美はまだ2年生ながら部長でもあった。

「今日集まってもらったのは他でもないわ。美咲の話はもうみんな知ってるわよね。」

「はい。」

「美咲は停学、ブッチ先生は謹慎。美羽高野球部は出場停止。一方的に叩かれたわ。」

「………。」

「この件を我々美羽高校新聞部も扱います。」

「この件をですか?」

「そうよ。真実を伝えるのが我々記者を目指すものの役目。向こうが、替え玉出場をしたっていう事実を突きつけて美咲を責めるのなら、あたし達は規則の為に野球がしたくても出来なくて苦しんでいる女生徒がいるっていう真実を訴えるのよ!!」

 部員一同から歓声が起こる。

「あたし達の新聞で美咲をもう一度マウンドに立たせるの!みんな協力してくれる!?」

 明美は立ちあがって叫んだ。

 それにつられて他の部員達も立ちあがる。

「分かったわ!やりましょう!!このままでは霧野さんがあまりにも可哀想よ!」

「そうだ!やろう!霧野の投球を見たいと思っている人も多いはずだ!世論をひっくり返す事だって不可能じゃないかもしれない!!」

 部員達は満場一致で賛成した。誰もが、ただ女子だからという理由だけでせっかくの実力を持ちながら活躍の場を奪われた美咲に同情しており、また、この一方的な処置に憤りを感じていたのだ。

「みんな、ありがとう!」

「これから忙しくなるね。」

「出来る事があったらどんどん言ってくれ!!」

 ここに居る全員の様に、多くの人が団結すれば美咲の出場停止処分をひっくり返すのも不可能じゃない、そう明美は信じていた。

「まどか!これが正義の新聞記者の仕事よ!気合入れてやんなさいよ!」

「はい〜!先輩、カッコいいですゥ〜!!」

 

 

 木曜日。美咲は停学中で学校に来ていない。

 月曜日と木曜日は朝礼がある。

 全校生徒が並ぶ中、校長の話が始まろうとしたその時、神田が校長を突き飛ばし壇上に上った。

 学校中の全員が目を白黒させている中、神田は大声で叫んだ。

「みんな!聞いてくれ!今回の野球部の件だ!」

「こらぁ!降りないか!!」

 教員達が神田を取り押さえようとする。取り押さえられながらも神田はマイクを離さずに、なおも続ける。

「今回の処分はオレはどーも納得がいかねえ!!仮にだ!仮にきちんと選手登録してれば美咲は出場できたのかよ!!」

 ザワザワザワザワ……。

「できねえだろーが!アイツの速球どれだけ出るか知ってるか!?」

 ザワザワザワザワ……。

「148だ!!148キロも出せるヤツが高校生でどれだけいるんだよ!?148キロ出せるようになるためにどれだけ練習してきたか…!!」

「いい加減にしろ神田!!早くマイクを返さんか!!」

「うるせえバカ野郎!!オレはまだ言いたい事を言い終わってねえ!!どう思う、みんな!!これだけ必死でやって来たのを、ただ女だからってだけの理由で踏みにじってもいいのか!?」

 生徒の間でのどよめきが大きくなってきた。

「霧野って148キロも出せんの!?」

「ああ、出てたって新聞に書いてあったな。」

「オレなんか、120も出せねえよ。」

「よっぽど練習したんだな…。」

「それだけ頑張ったのに女だからって出場拒否させられたのか…。」

「それって男女差別じゃない!!」

 神田の狙いどおりの反応が起こり始めた。実は明美達新聞部のメンバーが一般生徒の中で上手く他の生徒たちを煽動しているのである。

 そのため、あまり関心を持っていなかった生徒も徐々に美咲支持の立場を取るようになり始めた。

 しかし神田はここで完全に取り押さえられてしまった。

(ああ、くそっ!もう少しなのに!!)

 そこに明彦が駆けつけてきた。

(アキ!?)

 明彦が神田からマイクを受け取る。

「僕らは署名を集めています!もう一度美咲さんに投げるチャンスを訴える署名です!お願いします!皆さん協力して下さい!!」

 そこまで言って明彦も取り押さえられた。

 しかし、もう生徒たちの心は完全に掴んでいた。

「分かったーっ!オレも署名するぞーっ!!」

「あたしも協力するー!!」

 異様な雰囲気に教頭はたじろぐばかりだった。

「こ…、校長!騒ぎを収めませんと!!」

「うむ。任せなさい。」

 教頭にささえ起こされてから、壇上に上がる校長。

「えー、諸君。落ちつきたまえ。」

 この程度の言葉で収まるはずはないのだが、校長は生徒たちの人望が厚いので少し騒ぎが収まる気配を見せた。

「コホン。えー、霧野君の件については皆さんも知ってのとおりです。」

 さらに一息ついて。

「生徒の頑張り、夢を教員が、学校が支えないで誰が支えますか。」

「いっ!?」

 校長の予想外の言葉に教頭は驚きを隠せない。

「我々美羽高校は、全校を挙げて霧野君をバックアップします!!」

「おお―――――――っ!!」

 この瞬間生徒達のボルテージが最高潮に達した。

 誰が音頭をとったか「校長」コールまで発生する始末。

 同時に教頭の混乱もピークに達した。

「こ…、このバカ校長が――っ!!」

 この状況にうろたえるのは麗羅の取り巻き達である。

「れ…麗羅様!なんかとんでもない事になってきましたよっ!!」

「おっ、おだまり!!」

「ひいっ!!」

(くっ…!!どうして!どうしてこうなるんですの!?)

 美羽高校が一致団結する中、教頭と麗羅の二人だけが表情をこわばらせていた。

 

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