seen20 問題児

 

 刈谷の出塁で、チームの士気が上がったのを見るや荻原がゲキを飛ばした。

「さあ行くぞ、バカども!この回一気に先制するんだ!!」

 ここでいうバカというのはもちろん悪口のバカではない。このチームの場合、むしろこういう荒っぽい物言いの方が良い刺激となるのだ。

 打席には二番の明彦が入っている。

 初球は見送った。別に「待て」のサインが出ているわけではなかったが、刈谷が一瞬走るそぶりを見せたからだ。

 刈谷にはいつでも隙があれば走るように指示してあるのだ。

「ほう、あのランナーいいリードしおる。あれだけプレッシャーを掛けられたら投げとる方も嫌じゃろう。」

 感心したのはスタンドで見ている藤岡である。

「打者は楽になるし、作戦も立てやすいですよね。それにリードも思いきってますよ。」

 一緒にいる若いスカウトも相槌を打った。

 二球目三球目は連続でボール。明彦がバントの構えをしている上、ランナーにも圧力を掛けられているので投げづらいようだった。

(くそっ。走るんなら走れよな…。)

 相手投手もいらだってきた。大きなリードをとっているので、一見けん制で刺せそうなのだが、これが実にすばやく戻るのだ。

 四球目。すかさず刈谷がスタートを切る。明彦もバントの構え。

 しかしそれを読んでいたようにファーストとサードが突っ込んでくる。

 それを見た明彦は、ややバットを叩きつけるようにボールに当てた。

 ちょうどその打球は突っ込んでくるファーストの横を抜けるプッシュバントの形になった。

 逆を突かれたセカンドがボールを拾った頃には明彦は1塁を踏んでいた。

 ノーアウトランナー1塁、2塁。

「連続バントか。意外に嫌らしいチームじゃの。」

 そう言って顎をさする藤岡。

「問題はここからどう得点するかですよね。」

「うむ。1,2番がクセモノだけにクリンナップが良ければ面白いかも知れんぞ。」

 

 ネクストバッターズサークルから打席に美咲が向かう。

「アキらしいセコイ手だぜ。でもほんとにアイツ、バントは上手いな。」

 誉めてるのか、けなしてるのかよく分からない。

 ベンチ前、ネクストバッターズサークルに入った荻原からも声が飛ぶ。

「ボールをよく見て行けよ!つないでいけばいいからな!!」

 しかし、その声は美咲には聞こえていなかった。

 いま、美咲には周囲の雑音が完全にシャットアウトされていた。

 緊張で真っ白になっているのではなく、見事なまでに集中しているのだ。

 

「これは点が入るな…。」

 スタンドから見下ろす晃司が誰に聞かせるわけでもなく口にした。

 それを聞いた絵里子が聞き返す。

「そんなにいいバッターなの?」

「チャンスになった時の集中力が半端じゃない。普段は良い所を見せようと見栄はって大振りばかりするヤツだが…、アイツは重要な場面では自分の仕事をきっちりこなすんだ。」

 

 その頃、美羽高校の校長室。

「いかんいかん。もう始まってるころです。」

 慌ててテレビのリモコンを取り出しているのは校長である。

「校長は本当に高校野球が好きですな。」

 こう言って微笑んでいるのは教頭である。

「もちろんですよ教頭先生。野球は男のロマン!高校球児達が連日泥だらけになって練習を積み、チーム一丸になって優勝をつかむため白球を追う!こんな美しいものは他にありません。」

 力説する校長。

 特に今年はついに人数が揃い自分の高校が出場するという事で、例年以上に熱が入っていた。

 リモコンのスイッチをつける。その瞬間アナウンサーの絶叫が飛び込んできた。

『打った―――っ!一塁線、痛烈な当たり!!鋭い球足の打球がライト線を転がっている!セカンドランナー3塁を蹴って一気にホームへ!先制!美羽高校、ピッチャー近藤のタイムリーで1点を先制しました――――っ!!』

 これには校長もリモコンを放り投げて喜んだ。

「おおおお!先制!?教頭先生!勝ってるみたいですぞ!!」

 教頭はやや放心状態であった。何しろ、あの野球部が試合になるわけがない、せめて学校の名に泥だけは塗らないで欲しいと思っていたからだ。

 それがいくら相手が同じ弱小高とはいえ、幸先のいい戦いを進めているなど夢にも思っていなかった。

「ま…まさか…。」

 別に教頭も野球部を憎んでいる訳ではないので、想像外の展開に思わず顔をほころばせた。

 しかし、その表情が次の瞬間硬直する。

 テレビカメラがツーベースを打って二塁塁上にいる美咲をアップで映したからだ。

「なっ……!!」

「ど…どうしました?教頭先生。」

「ま……まさか…そんな……いや、そんなはずは………。」

 目を疑った。おそらく傍目には分からないだろうが、何しろ教頭は去年美咲が入学してきた時から、1年ちょっとの間ずっといがみ合ってきた仲だ。

 1年の時には二度ほど停学にした事もある。

 美咲の顔はしっかり覚えているのだ。

 教頭のただならぬ様子に校長も動揺した。同じ質問を繰り返す。

「ど…どうしたのですか、教頭先生。」

「ど…どうしたも…こうしたも……。校長、あれは近藤ではありません!我が校始まって以来最大の問題児、2年4組の霧野美咲です!!」

「な…何ですと!?」

「あの憎たらしい顔を忘れるはずがありません。あれは間違いなく霧野です。」

「とすると何かね。美咲君は打順を間違ったという事かね?すると今の1点はどうなるのかの?」

「違います!!美咲なんて名前の男子はいないでしょうが!なぜかは分かりませんけど、霧野が男装して野球をやっているんですよ!!」

「なんと!それはすごい!女だてらに男子に混じって野球をやり、あげく活躍までするとは!」

「感心している場合ですか!これがマスコミに知られたらとんでもない事になりますよ!!」

「そ…そうじゃな。スポーツニュースや熱闘甲子園とかにも引っ張りダコじゃ。こうしてはおれん、いつ取材陣が来ても恥ずかしくない様に学校の美化運動を推し進めなさい。」

「違います――っ!!」

「え、違うんですか?」

「ただでも出場登録してない人間が出場しているだけでも大問題なのに、その上霧野は女子ですよ!?バレたらただじゃ済まないって言ってるんです!!」

「という事はせっかく勝っても取り消し?」

「そんなレベルじゃないっつうの!!」

 

 マウンド上に朝日が丘の選手達が集まる。

「ドンマイドンマイ。1点ぐらいすぐに追いついてやるさ。」

「それよりどうする?1塁空いてるし、歩かせるか?」

「でもノーアウトだしな。」

「じゃあ、きわどいコースで敬遠しよう。振ってくれたらもうけだ。」

「分かった。」

 内野手は中間守備。

 1点は仕方がないとして、2塁の美咲までは生還させないように外野は前進守備である。

 相手の守備陣形を見て、近藤が尋ねる。

「監督、スクイズはどうします?」

「無理だな。荻原の顔を見てみろ。ありゃ外野オーバーしか考えてない。それにアイツにバントは危険だろ。」

「そう言えば、バントは男のやる事じゃないとかワケの分からない事言って練習してませんでしたね。」

 そして荻原は、バッテリーの思惑通りボール球に手を出した。

(やった!)

 バッテリーがそう思ったのもつかの間だった。

「うおおおお!!」

 力任せに荻原はバットを振りきった。

 するとどうだろう。本来なら内野のポップフライに終わるような当たりだったのが、フラフラッと内野の頭を越えていった。

「わはははは!結果オーライ!」

 明彦が還って1点追加。美咲も一気にホームを狙う。

「急げ!もう一人行ったぞ!!」

 さすがに守備連携には定評のある朝日が丘だけあった。センターがすばやくカバーに入り、一気にバックホームした。

「アウト―――――っ!」

 相手の返球は素晴らしく3点目はならなかった。

 しかも、この間に2塁を奪おうとした荻原だったが、走塁が中途半端だった。キャッチャーは迷わずセカンドに送球し荻原も1、2塁間に挟まれタッチアウトとなった。

「あちゃー。」

 ベンチで肩を落とす水渕。

「突っ込むならもっと積極的に行かなきゃ。この走塁面もまだまだだな。」

 土壇場での判断力、チームが誕生して日が浅いだけに今後の大きな課題でもあった。

 さて、このプレーで最も不機嫌になったのは神田である。

「なんだよー、美咲も主将もよぉ。後ろにオレが控えてんじゃねーか。暴走しやがって。」

「おめえだから信用できねえんじゃねえか。」

 吐き捨てるように美咲が言う。

「あ、言ったな。ここでオレがホームラン打つ事になってんだぞ。3点入るもんを1点どまりにしたんだぞおめーら。」

「無理無理。」

「このやろう、見てろよ。」

「俊也様!頑張ってください、わたくしのために!」

 ベンチでは麗羅がバカ騒ぎしていた。

 

 ダブルプレーを完成させて相手バッテリーは冷静さを取り戻していた。

(ここから試合開始のつもりでいこう。)

 バッテリーはうまく変化球をおりまぜて神田を三振に斬って取った。

「ホレ見ろ。」

 グローブを持って出てきた美咲がそう言って嘲笑する。

「まだまだ!あと3回は周ってくるだろうし。」

「どーだか。全部三振じゃねーの?」

 神田は頭に来たが言い返す言葉がなかった。

 

「うーん、もっと点が入ると思いましたけどね。ねえ、藤岡さん。」

「そうじゃな。試合経験が乏しいんじゃろうな。じゃが、あの3番、4番、5番いずれもスイングが鋭かったぞ。」

「あの4番なんか完全に詰まった当たりがヒットになっちゃいましたもんね。どうです、候補に入れときますか?」

「アホぬかせ。いくら今年が不作じゃからってアレだけで評価したらわしらのクビが飛ぶぞい。」

「まあ、そうですよね。やっぱりこの試合レベルが低いですよ。見るほどの選手はいないんじゃないですかね。」

「いや、一人気になるのがおるんじゃ。」

 藤岡の目はマウンド上の美羽高校背番号1番に向けられていた。

 

 マウンド上で美咲は伸びをした。

(く〜っ。たまんねー。やっぱ、練習試合とは違うな。この観客の視線。この独特の緊張感。野球やるならこうでなくっちゃな。)

 しかし、そうスタンドを見渡した時ちょっと色気が出た。

(いいところを見せたい。)

 それが先頭打者にいきなり出てしまった。

「デッドボ―――ル!」

「し…しいません…。」

 帽子をとって謝る美咲。相手は当たり所が良かったのか大した事はなさそうだった。

「あ――――――――っ!!!」

 この時スタンドで大声を出した人物がいた。

「ど…っどうしたんですかぁ!明美先輩ィ!」

「なんかおかしいなーって思ってたけど……。」

 明美は自分の目を疑ったが、心の中に沸き起こってきた疑念はどんどん大きくなってきた。

(あれ…、ひょっとして美咲じゃない……?いや!間違いない、アレは美咲だ!!)

 帽子を取った時、明美は一瞬で変装を見破ってしまった。

「ねえ先輩、どうしたんですかぁ?」

「こりゃ、とんでもない特ダネもうひとつ拾ったわよ。」

「どういうことですかぁ?」

 ピッチャー美咲を1面に持ってきて、さらに二面に沖田晃司恋愛発覚となれば、過去最大の目玉である。

 

(いかんいかん。オレとした事が、つい余計な力が入っちまった。)

 結果は死球。だが、球場内の雰囲気はガラっと変わっていた。

「オイ…。今の球、ムチャクチャ速くなかったか……?」

 こんな声が至るところで囁かれ出していた。

 藤岡も目を丸くした。

(は…、速い球を投げるとは想像しとったがこれほどとは…。)

 しかし藤岡はスカウトである。球の速さだけに驚いているわけにはいかない。

(球が速いのは予想通りじゃが、死球後のピッチングがどうなるか見物じゃな。)

 美咲はこの前と同じ過ちを犯しかけている自分に気がついた。

(そーいや、東高との試合の時も、速い球を投げようとしすぎて失敗したんだっけな。)

 美咲はここできれいに気持ちを切り替えた。この前のメッタ打ちはまちがいなく美咲の財産になっていたのである。

(大事なのは身体全体を使って投げる事だ。そうしなければ制球もキレも生まれない。)

 ストレートでグイグイ押す。 相手打者は手も足も出ない。

 藤岡はうなった。

「ほほっ。死球与えてから見違える様にフォームが良くなったわい。」

 結局この回美咲は後続3人をピシャリと抑えた。

 

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