seen19 自分との戦い

 

「初の公式戦だからって気負う事はないぞ。一つ一つのプレーを丁寧にこなして、練習の成果を発揮すればいいんだ。」

 水渕は、初の公式戦に緊張の色が隠せない選手たちをリラックスさせるためになるべく言葉を選んでゲキを飛ばした。

「勝とう勝とうと思わず、自分の力を発揮すればいい。」

 しかし、その水渕の心配りは直後に美咲が粉々にぶち壊した。

「何寝ぼけたこと言ってんだよブッチ。!勝負は勝ってナンボだろ?そんな辛気くせー事言ってたら勝てるもんも勝てなくなっちまうぞ。」

「み…美咲……。」

「分かってるって。変にプレッシャーかけるなって言いたいんだろ。任せとけよ。オレが0点に抑えてやっから。」

 こうも自信満々に言われると水渕も次の言葉が出なかった。

「守りのことは心配すんな。ピンチになったらオレが三振とってやっからさ。おめーらは点を取る事だけ考えな。」

「点を取ることだけスか。」

 1年生の香田が聞き返す。クリクリボーズなので、最近は美咲にクリボーとあだ名をつけられている。

「そうそう。考えてみろよクリボー。オレが0点に抑えるだろ?それでおめーがタイムリーかなんかで1点とって勝てばおめーもヒーローじゃねーか。」

「お…オレがヒーローっすか!?」

「そーだよ。そりゃおめー、クラスの女子もお前にメロメロだぜー!良かったなクリボー!彼女いない歴にピリオドじゃ!!」

「おおおおお!そーっスかぁ!美咲先輩、オレ燃えてきたっスよーーー!!」

 つられて、服部や宮本も燃え出した。

「おっしゃー!オレ達も活躍してモテモテーっ!!」

 とんでもなく不純な高校球児達である。

「わははは。ウチのチームは単純バカばかりだからコントロールが楽だ。」

「おみそれいたしました。」

 水渕はただ脱帽するばかりだった。

 

 しかし、これが最後の大会になる3年生はそれどころじゃなかった。

「どうした慎一?」

 荻原が甲斐に声をかける。

「はは…。緊張しちまってな…。これがオレ達にとって最後の大会だろ?そう思ったらさ…。」

「そうだな…。」

 荻原も同じ思いだった。

「最初の大会が最後の大会になるなんてな。」

 そう言って荻原は豪快に笑う。しかし、声は何となく渇いていた。

「今日負けたら、オレ達の高校野球も終わっちまうんだなってどうしても考えちまってな。」

 自嘲する様に甲斐が笑う。

「だったら、悔いの残らない試合をしないとな。」

「ああ。」

「慎一。お前、入る高校間違えたな、とか思った事あるか?」

「な…なんだよやぶから棒に。」

「オレは正直去年まではそう思ってた。他の学校ならもっともっと試合もやれただろうし、全国だって狙えたかもしれん。でも、今はこのチームで良かったなって思ってるんだ。」

「………。」

「こんなに頭を空っぽにして野球がやれるチームは他にない。だからといって無気力なチームでもない。野球そのものの純粋な楽しさを味わえるんだ。」

「……そうだな。」

「監督の言いなりになってやるんじゃなくて、自分たちで判断してプレーしてきた事は、絶対これからも役立つと思うしな。」

「ははは…アイツのおかげか?」

「かもな。」

「………。」

「行こうぜ。」

「ああ。どこまで行けるかは分からんがな。」

「1試合1試合思いきり楽しもうぜ、慎一。」

 

「先輩―っ!何でわざわざ学校まで休んでまで、来なきゃなんないんですかぁ?」

 あわただしく女生徒が二人球場に駆け込んで来た。

 その一人は明美である。

「カンよ。」

「カン?」

「そう、カン。あたしの新聞記者としての血が今日ここに特ダネがあるってあたしを突き動かすのよ!!」

「ええーっ!特ダネですかー!!」

 明美と一緒にいるのは新聞部の後輩の平池まどかという1年生である。

「そうよ!今日ここでドラマが生まれるのよ!」

「ドラマですかぁ―――っ!!」

「そうよ、まどか!ちゃんと気合入れて今日の試合を観察すんのよ!!」

「はいぃ―――っ!!」

(まさかアキちゃんを見に来たなんて言えないっしょ。それに!アキちゃんだけでなく、美咲まで学校を休んでる……ふっふっふっ、これは何かあるわよっ!!もう、そんなところまでカンケーが進んでるとはねっ!!)

 もはやワイドショーおばさんのノリである。

「先輩、あそこにいるのって東高の沖田さんじゃないですかー?」

「えっ!嘘っ!?どこどこっ!?沖田サマ!?」

 応援団もかけつけていない美羽のアルプススタンドに晃司と絵理子が並んで座っていた。

 それを見て硬直する明美。

「だっ…誰よ、あの横の女は……っ!!」

「うひゃー、先輩―。さっそく特ダネですねー。沖田晃司恋人発覚ってトコですかー。」

「ふ…ふふふ…そ、そのようね…。」

「さすが先輩ですー。」

「えへへへ…。どういたしまして…。」

「あたしびっくりですー。沖田さんって堅い人で通ってたのに、恋人がいたなんてー。」

「………。」

「あの二人どこまで進んでるんでしょーねー。ひょっとしてもうイケナイ関係になってたりしてー。」

「じゃかあしゃあ!!このおバカ!何度もしつこく繰り返すんじゃないわよ!!」

「ひええええ!!先輩が怒ったですー!!」

「あー、もう!悔しいーっ!本当に特ダネつかんじゃったじゃないのーっ!!」

 心底悲しいのに、次の美羽タイムスの1面が鮮明に頭に描いてしまうところが明美の悲しいサガであった。

 

 さて、グラウンドに出てくる選手たち。

 相手の朝日が丘の応援団席はかなり入っていた。

 一方の美羽のアルプススタンドはガラガラである。

「なんなんだ、この差は!」

「しょーがねーだろ。ウチに野球部がある事すら知らねー生徒がほとんどなんだから。」

 それだけにこちらの席にいる明美や晃司の姿は簡単に確認できるのだった。

「あ、晃司だ。ほほー、オレ様を偵察しようとはなかなか殊勝な心がけだぜ。」

 美咲は満足げだ。

「あの練習試合がオレの本当の力じゃねーって事を証明してやらなきゃな。」

「美咲さん。大倉さん達も来てるよ。」

「なっ…なにぃ!!明美も来てんのか!?」

 一瞬明美にマウンドにいるのが自分と見破られたらと、血の気が引きそうになったが、顔を向こうに向けなければ帽子で顔が隠れるのでまずばれる事はないだろうと気をとり直した。

 選手たちは、グラウンドに出るまでにかなりリラックスしたつもりだったが、いざ観客が見守る舞台に立つと、また緊張感に身体が束縛され始めた。

 水渕にもそのカチコチになっている状況が痛いほど伝わってくる。

(ここからは、試合前の練習とゲームの中でこの雰囲気に慣れていくしかないからなあ。)

『美羽高校、練習をはじめてください。』

 アナウンスがかかり、ノックを始める。

 全員の動きが固い。平然としているのはプレッシャーに無縁な神田と物怖じしない刈谷ぐらいである。

 明彦は美咲の動きがいつもに比べて落ち着きがないように見えた。

(やっぱり美咲さんでもこういう時は緊張するんだな…。)

 始め会った時は、この人には怖いものなんてない。といったイメージだったが、この前の練習試合の時や、今の姿を見て、

「いくら気が強くたってやっぱり女の子なんだもんな…。」

と心の中で納得していた。

「僕ら一人一人がしっかりしなくちゃ。」

 そう思ったら、明彦はなにか吹っ切れた気がした。

 当の美咲が落ち着きのない本当の理由は、

(今日、スカウト見に来てんのかな。いるとしたらどの辺かな。)

と、スカウトらしき人物を探してキョロキョロしていただけに過ぎないのだが。

 

 そして、実際スカウトはごく少数ながらこの試合を見ていた。

 50をゆうに過ぎているであろう老人と、いかにもスカウトに成り立てといった感じの30前後の青年の二人組がそうだった。青年の方が声をかける。

「藤岡さん。何か買ってきましょうか?」

「おう、自販機でビール買ってきてくれ。」

「ひ…昼間っから飲むんですか?」

「ええじゃろ別に。酒とタバコと良い選手を見ることがワシのパワーの源なんじゃ。」

「……でも、朝日が丘は大した選手はいなかったじゃないですか?」

「まだ、美羽を見とらん。」

「そこはなおさらですよ。今年ようやく試合が出来る人数がやっと揃ったっていう話です。素人の集まりじゃないですかね。」

「まあ、そうじゃろな。」

「今年の3年生はそう良い選手がいないみたいですね。」

「おらんなー。不作も不作、飢饉じゃわ。でも2年は結構面白いのがゴロゴロしとるぞ。」

「そうですね。まだ今の時点で決める訳にはいかないですけど、辻間東の沖田か、凍邦の羽岡か…、てところですね。」

「今のところはな。じゃが、まだ掘り出し物がおるかもしれん。それを探し出すのがわしらの役目じゃ。」

「はい。」

「じゃから、無名高の選手とて決してバカにできん物なんじゃよ。」

「う〜ん、なるほど〜。」

「それより、話をそらさんとさっさとビールを買ってこんかい。」

「うはっ。やっぱりばれました?」

「見え見えじゃわい。今更ワシの健康を気遣ったって手遅れじゃ。」

 相方が席を外し、一人になった藤岡はここで一人の選手に目を引かれた。

 近藤誠。つまり男装している美咲である。

「ほ…。」

 躍動感のあるフォーム。スピードはまだ抑えているのか、そう目立ったものではないが、その球筋からボールに相当な威力があろう事は容易に把握できた。

「ホレ見い。さっそく掘り出し物がおったわい。」

 足を高く上げるフォームながら軸が全くブレない。相当足腰が強い証拠である。軸がブレないということはコントロールも良いという事である。

「こんな無名高にこれほどの投手がおったとは……。」

 思わず藤岡は感心した。知らないうちに食い入る様に見ていた。

「ただなァ…、ちと細すぎるのう。もう少し肥えとる方がピッチャーとしてはええんじゃが。」

 しかし、その素質は類い稀なものがある。そう藤岡は評価した。

 

 練習終了。両校がホームベースに並び試合開始の挨拶。

(いよいよ始まるな。)

 美咲は野球がまた大勢の人の前でやれる喜びを実感していた。

 先攻は美羽。打席にトップバッターの刈谷が入る。

 両校ともかなりの緊張感。その上美羽サイドは応援団が駆け付けていないので、球場全体がシーンとしている。それが余計に緊張感を高ぶらせた。

 美咲などは試合が始まってわくわくしているが、大方の選手は「自分たちがこんな舞台で試合するなんて」という心境だったので、気が気ではない。

 逃げ出したい気持ちと、わずかに心の底にある楽しみに似た感情がぶつかり合っていて、それを何とか抑えこんでいるような状態だった。

 そのプレッシャーのため、相手の朝日が丘の選手が随分大きく見える。前評判は大した事ないのだが、練習試合で対戦した辻間東よりもはるかに強いチームのように見えるのだ。

(まず、この空気を何とかしないと…。)

 そう思い水渕は刈谷にサインを出した。

 相手投手が投げこんだ初球。

 刈谷はいきなりそれをバントした。

 あまりにいきなりのバントだったので、相手も処理が間に合わなかった。

 初戦の試合開始直後の思い通りに体が動かない心理を狙った作戦である。

「おおーーーっ!刈谷、ナイスバント!!」

 刈谷の奇襲作戦に、チームがわっと盛り上がる。

 そこで間髪いれずに主将の荻原が喝をいれた。

「いいか、みんな!オレ達だけじゃない!相手もプレッシャーがかかってるんだ。相手と戦おうとするな、自分と戦え!自分の弱い心を打ち倒せば、絶対に勝てる!!練習でも出せない力を出そうとしたって無理だ。今のオレ達に出来る野球を確実にやっていこう!!」

「そうだな…。不安なのは相手も一緒なんだ。」

「今のオレ達に出来る野球か…。」

 刈谷のドラッグバントがきっかけで、精神面で朝日が丘より優位に立った。

 

続きへ

戻る