seen16 美咲炎上

 

 打席には東高の7番松島。

 試合前に誠から彼についてはいくらか聞かされていた。

 同じ2年生である事。

 チーム内では晃司のライバルである事。

 体格が190cmほどあり、パワーだけなら晃司をも上回るという事。

 速球に強い事。

 好きな食べ物はアップルパイ。

「………。最後のはどうでもいいや。」

 これ以上打たせないと心に決めた。まして晃司以外の打者は完璧に抑えるつもりである。

(オレの命はストレート。速球でぐいぐい押して相手を抑えるんだ。)

 速球に強い打者といってもだからといってストレートを封印するつもりはない。大体美咲の性格からいってそういうバッターほど速球で抑えたいのである。

(とにかく速い球を投げる!!)

 そう念じて投げた速球。自分では最高の球を投げたはずだった。

 しかし打球は軽々とフェンスを越えて行った。

「ありゃ!?」

 スコアはこれで4―0。今までホームランを許した事がなかったのに、今日の2イニング目でいきなり2本目の被本塁打である。

(なんで……。)

 確かに一番力を入れて投げたはず。なのに簡単に運ばれてしまった。

 強豪である事は間違いないが常時145キロぐらいの速球をそう簡単に打てるものではないはずだ。

(おかしい………。こんなはずじゃ……。)

 美咲はさっき神田に言われた事を思い出した。

(今日のお前、いつもより速球が遅いんじゃないか。)

 本当なのかもしれない。投げている自分より受けている神田の方が威力は実感できるはずでもある。

(遅いのか…、本当に……。………もしそうなら、原因は何だ……。)

 肩もひじも違和感ひとつない。

 特別な疲れもない。

(分かんねえ…何でだ……。何でいつもの威力がないんだ………。)

 呆然とする美咲。

 チームも唯一の勝利への希望だった美咲の乱調に雰囲気が重くなっている。

「おい、!しっかりしろ!!まだ4点差だろーが!オレが4打席全部ホームラン打って同点にしてやらァ!!他のみんなもシャキッとしろよ!!」

 たまりかねた神田が全員にゲキを飛ばす。

 

「松島、ナイスバッティングだったぞ。」

 主将にねぎらわれる松島だが当然といった表情だった。

「あのピッチャー大した事ないっスよ。スピード表示は速いっスけどそんなに伸びはないっス。晃司もなんであんなのを警戒してんのやら。」

 ライバル心剥き出しで松島が晃司をバカにする様に言う。

 しかし晃司は顔色ひとつ変えずマウンドの美咲をにらみ続ける。

「いや、まだまだ叩かなければ…。ボールを見るのも嫌になるぐらいに…。」

「……………。」

 とても練習試合とは思えない沖田の気迫にチームの全員が圧倒されていた。

 

「美咲のヤツ、力が入り過ぎだ……。」

 水渕が吐き捨てる。

 相手は初の強豪校。さらにライバルの晃司もいる。力が入るのは当然だった。

「みさ……ゴホン!近藤!!もっと楽に投げろ!!」

 水渕が叫ぶが美咲の耳には入っていないようだった。

「だめだ…聞こえてない。多分頭の中が真っ白だぞ…。」

 ストレートに絶対の自信を持っていた美咲だけにそれが簡単に柵越えを二本もされた事でその自信が揺らいできているのだろう。

「信じられないですね…。あの強気の美咲が…。」

「無理もない…。その強気の源で打たれてるんだ。でも、あれは美咲の本来のストレートじゃない。」

「どういう事ですか?」

「あいつは自慢のストレートを沖田に打たれてもっと速い球を投げようとし過ぎてる。」

「それが力みに…。」

「うん。力を入れると速い球が投げれると思いがちだが、力を入れすぎると腕の振りが鈍る。身体も上体で投げようとして下半身がおろそかになるから、球離れも早くなる。」

「球離れが早いという事は…。」

「手元でボールが伸びないんだ。さらにボールが上ずってホームランコースに行ってしまう。」

「………。」

「今の美咲は普段と違って身体の開きも早いからボールの出所まで見やすい。いくら速球に自信があってもあれじゃ大した威力はない。」

「それじゃ早くその事を美咲に教えないと!」

「…ウチには伝令がいないだろ………。大声出しても聞こえないし。」

「あ。」

「とにかくこの回早く終わってくれ…。美咲がフォームを崩す前に…。」

 水渕の祈りとは裏腹にこのあと美咲はますます力が入りメッタ打ちを食らった。

(ちくしょう!こんなはずじゃないのに!!)

 そして追い討ちをかけるように2度目の晃司の打順。

 軽やかな金属音。

 晃司の2打席連続アーチが飛び出した瞬間だった。

「……………。」

 マウンドで美咲はうなだれた。

 何とか二回の表が終わった時スコアは9―0になっていた。

 美羽のチーム状態を象徴するかのように先ほどまで快晴だった空が暗く濁りぽつぽつと雨が落ちてき始めていた。

 

 気力を失ってベンチに戻ってくる選手の姿はとても直視できる物ではなかった。

 いつもの元気な姿が全くない、当然といえば当然だが。

 美咲はベンチに座ってうつむいてしまった。

 誰も口が聞けない状態である。

 だが、水渕はとにかく美咲を立ち直らせなければならなかった。

「美咲。」

「……………。」

「よく聞け。力が入るのは分かる。だがな、ここでもっと力を抜いて…。」

「うるせーな!!放っといてくれよ!!

 水渕の方を振り向いた美咲は悔し涙を浮かべていた。

「どうせオレの球なんてこんなもんだよ!」

「美咲!」

「やっぱり女じゃ野球は無理だって腹の底じゃそう思ってんだろ!!」

「………………!!!」

 その瞬間、水渕が美咲の頬を叩いた。

「………!……て………。…………てめえ、何しやが…!」

「甘ったれるな!!」

 水渕の剣幕に美咲をはじめその場に居合せた全員が目を丸くした。

「よく聞くんだ、美咲。誰だって打たれる事はある。どんなに実力があろともいつもその力を100%出せる訳じゃない。」

 今度は一転して落ち着いた口調で諭す様に言う。

「お前ぐらいの投手なら普段の投球をしていればまず打たれない。だがその時の調子、相手、環境などで普段の投球が出来ない場合がある。打たれるのは決まってそんな時だ。」

「………。」

「ましてお前はリトルでやっていたとはいえ野球経験が浅い。こういう状況でなかなか対応できないのは当たり前だ。お前の本当のストレートが打たれたわけじゃない。自信を持て。本来の球だったらいくら相手が東高でもそう簡単に打たれない。」

「………。」

「打たれるのはどんなピッチャーでも当然ある事だ。その時の経験を次に活かして立ち直るのが本当にいいピッチャーなんだぞ。」

「………。」

美咲は黙って水渕の顔を見つめている。その目に先ほどの反抗の色はなかった。

「もっと楽に行け、美咲。お前は楽しく野球がやりたかったはずだろう。今のお前は野球を楽しんでない。」

「…………。」

 ちょうどそこに荻原が凡退に倒れて戻ってきた。

「敵を誉めるのはシャクだが、あれはいいピッチャーだぞ。」

「よーし!美咲、見てろや!オレがいっちょでかい花火あげてきてやるぜ!!」

 次打者の神田が気合満点で打席に向かう。

 彼につられて他のみんなも元気が戻ってきたようだった。

「そうだ!楽しい野球がオレ達のスタイルだ。勝敗なんて2の次だ!」

「よっしゃ!神田、いったれ!弱小の意地見せてやれ!!」

 神田が美咲の方に振り返り叫ぶ。

「おい、美咲!ここでオレが打ったら今度デートしろ!いいな!!」

「てめえなんかが打てるかよ。外野まで飛んだら拍手してやるぜ。」

 美咲も気持ちが立ち直り始めてきた。その証拠に普段の美咲節が出てきていた。

 そして、自分が勝ち負けにこだわりすぎて試合を壊してしまった事、みっともなく当たり散らしてしまった事を恥じた。

(そうだよな。オレは何ムキになってたんだ。せっかく野球やってるんだから楽しくやらなきゃ勿体ねーじゃねーか。)

 気合とは裏腹に神田は三球三振だった。

「ったく!ヘロヘロクネクネした球投げやがって。もっとズドーンと投げこめってんだ。」

「へっへっへ。ゴジラクラッシュは不発かい。インチキ花火師。」

「うっせー、ヘボピー!」

「言うじゃねーか。ふっふっふ。」

「てめーこそさっきまで泣き入ってたくせに。へっへっへ。」

「ふふふふふふふふふふふふふふふ。」

「ひひひひひひひひひひひひひひひ。」

「ふ…2人とも怖いです。目が笑ってないですもん。」

「明彦。気にするな、からまれるぞ。」

 

 二回の美羽の攻撃が3人で終了した辺りから急激に雨が強くなり始めた。

「こりゃ続行は無理だな……。」

 向こうも同じ事を考えていたらしくあっさり試合中断が決定した。

 正直水渕としては美咲が立ち直った事だし試合は続けたかったが、いくら待っても雨足が弱まる様子はなくノーゲームとなった。

 

 雨がいくらか弱くなったのを見て東高の面々が学校へ戻ろうととしていた。

 それを美羽ナインが見送る。

 その時晃司が美咲に話しかけてきた。

「美咲。」

「……なんだよ。」

「今日の試合で分かっただろう。女のお前に野球は無理だ。オレはお前が今日みたいに傷つく姿は見たくない。」

「………。」

「きっぱり野球から足を洗え。」

「………。」

「………。」

「………言う事はそれだけかよ。」

「!!」

「もっと練習して、もっといいピッチャーになって、本番ではブッ倒してやるからな!」

「な…何!?」

「今のうちに言いたい事言えばいいさ。敗者に言い返す権利はねーからな。そのかわり次はおめーらが負ける番だ。」

「美咲!」

「オレがこれぐらいで参るとでも思ったか。なめんなよ。次はお前らが血祭りだぜ。」

 そう言って舌を出して晃司を挑発する。

「……そうか………。分かった。バカには忠告するだけ無駄だった様だな!」

 怒ったように晃司は美羽高を後にした。振りかえる事はなかった。

 横を歩く松島がそんな晃司に話しかける。

「晃司、なに話してたんだ。」

「別に………!」

「ふーん。まあ、聞いてたほど凄いピッチャーでもなかったな。」

「…………あいつの力はあんなもんじゃない……!」

「!?」

(…もっと練習しなければ……。…本当にあいつはオレの前に立ちふさがる……。)

 今日の試合で野球をやめさせるつもりが美咲に火をつけてしまった。

 

 学校に戻った晃司は終始無言だった。

 彼が心の拠り所にしていたのはたとえ距離は置いても美咲が自分を応援してくれているという希望だった。

 いつか夢をかなえた自分の目の前に笑顔で現れてくれるだろうという期待だった。

 ところが彼女とは敵味方に分かれた。

 晃司は自分が今まで心の支えにしていたものを失ってしまったのである。

 彼の心はただ虚しさに覆われていた。

 彼は今、自分の心を支えてくれるものがほしかった。

 着替えを終えて部室から晃司が出てくる。

 そこにはマネージャーの絵理子が立っていた。

「あ…、沖田君……。」

「ああ、マネージャー…。」

「あ…あの…話が……あるんだけど………。」

「ああ、そう言ってたね。」

 絵理子は周りに人がいないのを確認して意を決した。

「あ…あの…、沖田君…!……私…あの……、ずっとあなたの事が…。」

「!?」

「………好きなの……!!」

 晃司は目を丸くした。彼女が自分に好意を持っていたとは気がつきもしなかった。

「沖田君が良かったら……わ…私と、付き合ってほしいんだけ…ど……。」

 絵理子はだんだん心細くなってきた。

 晃司は黙ったままである。

「……ご・・・ごめんなさい…。そ…そうよね…。ダメだよね…私なんかじゃ…。やっぱり…沖田君には、……もっといい人が……。」

 絵理子が泣き出しそうになったところを軽く晃司が肩を叩いた。

「…オレを、支えてくれるかい?」

 絵理子の表情がぱっと明るくなる。

「う…うん!喜んで!」

「ありがとう…。よろしく頼むよ。」

 そう言ってから晃司は絵理子を強く抱きしめた。

 

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