seen15 逆転

 

(大丈夫か、晃司!?)

(ひどいよ、みっちゃん。もっとゆるく投げてよ。)

 美咲の快速球をはじめ晃司は捕れなかった。

 リトル時代。美咲はとんとん拍子でエースの座を獲得したが、晃司は他の子供達と美咲の正妻の座を争っていた。

(弱音吐くなよ。オレはお前がキャッチャーじゃなきゃ辞退するからな。)

(うん。ボク、頑張るよ。頑張って絶対みっちゃんの球を捕れるようになる。)

 思えば常に美咲は晃司の前にいた。体格も美咲の方が晃司より良かった。足も晃司より美咲の方が速かった。泳ぎも鉄棒も跳び箱も何もかも常に美咲は晃司より上手だった。

 美咲の場合は天賦の才があり、晃司はその差を努力で追いつづけていた。そしてその晃司の努力の支えには常に美咲が付いていた。

 いつも美咲は自分一人で先に行く事なく晃司を待ってくれていた。

「いつからだろうな………。」

 そんな昔の事を思い出しながら晃司は一人つぶやいた。

「いつからか美咲が小さく見えるようになった。オレにとって絶対に越える事の出来ない壁の様だった美咲が、常に見上げていたはずの美咲が………。」

 そう感じるようになったのは身長を追い抜いたからだけではない。

 昔は美咲の後についていっていた、いや、むしろ引っ張っていってもらっていたと言った方が正しいかもしれない。

 しかし、今は常に前にいて自分を引っ張っていた美咲が後ろになってしまったのだ。

 もはや、昔とは完全に立場は逆転している。

 晃司はその事を自覚していた。今度は自分が美咲を引っ張っていってやる番だと思っていた。自分が甲子園に出場し、美咲を一緒に甲子園に連れて行く。そしてその美咲に晃司は今まで以上に精神的に支えてほしかった。

 しかし、その美咲は自分とは違う学校に進んだ。

 美咲の分も頑張ろうと努力する自分の姿を彼女は見ようとしてくれなかった。

 それどころか他校のユニフォームを着て男装までして自分の敵として立ちはだかってきたのだ。

(美咲…。お前は…そんなにオレが妬ましいのか……。そこまでオレが先に進もうとするのが気に入らないのか。)

 晃司の目線の先にいるのは成長した懐かしい幼なじみである。

 晃司にとって何よりも愛しく大切な存在である。

 しかし、それを見つめる晃司の目はいつになく厳しい。その中には憎悪ともいうべき感情があった。

 何よりも大切な物に裏切られた、そんな思いが晃司の中でふつふつと沸いていた。

「それがお前の答えだと言うのなら…、オレはもう容赦しない。今日の試合で、二度と野球をする気が起きないように叩き潰してやる!」

 

「おい、美咲。何ボーっとしてんだよ。時間がもったいね―だろ。」

 神田にそう言われて美咲はハッとした。

「あ……わ、悪りい。」

「ったく。しっかりしてくれよな。相手は今までで一番強えーんだろ?気合入れてくれよ。」

 投球練習中も美咲は自分に注がれている視線が気になって仕方がなかった。

 いつもの自分の速球を見て驚く相手チームの恐怖の視線ではない。

 また、自分の球を打ってやろうと意気込む相手主力の挑戦的な視線でもない。

 ただひとつの視線。そこにあるのは、限りなく憎しみに近い感情であった。

 憎悪に満ちた視線が自分に向けられている事を美咲も感じていたのだ。

(何で…、何でそんな目で見るんだよ。)

 美咲は晃司が自分の野球への復帰を喜んでくれるものとばかり思っていた。たしかにチームは違う。ともに優勝旗を手にする事は不可能だ。しかし、同じグラウンドに野球人として立つ事を晃司は祝福してくれると思っていたのだ。

(なんで怒ってるんだよ。なんで喜んでくれないんだよ。オレの何がそんなに憎いんだよ!)

 美咲はだんだん腹が立ってきた。

(やっとお前と同じ土俵に立てたのに…。やっとまともにお前の顔が見れるようになったのに……。果たせなかった約束を少しでも守ろうとしているのに、何が気に入らねえんだ!!)

 美咲はやり場のない怒りを神田のミットに叩きこんだ。

「へえ、球は速いな。」

「こんな弱小野球部にあんなのがいるとはな。」

 チームメイト達が美咲の投球練習を見てこう洩らし始めた時に晃司が主将に向かって言った。

「主将。アイツは絶対に乗せてはいけません。序盤で一気にたたみ掛けましょう。」

 普段、試合前は無口な晃司に突然言われて主将も驚いた様だった。

「あ…ああ。なんだ沖田、アイツはお前の知り合いか?」

「…まあ、そんなところです。」

「ふーん。じゃあ、やりにくいんじゃないか?」

 主将がからかう様に晃司に言う。

「関係ないですよ。敵は敵ですから。」

 晃司のあまりに低い声に周りは全員戸惑った。こんな晃司は見たことがない。

「この試合、絶対に勝ちましょう。」

 晃司の迫力に押されて全員思わずうなずいてしまった。

 

 先行は東校。晃司は2年生ながらすでに4番を任されているので、ランナーを出さなければこの回対峙する事はない。

 正直言ってじれったかった。

 もやもやした気持ちが晴れない。

 美咲は一刻も早く晃司と対戦したかった。晃司と対戦する事で晃司の怒っている理由が少しでもつかめるかもしれない、という気持ちからである。

 それが美咲から集中力を奪った。

 初球。神田の構えたミットに直球が突き刺さる。

「マネージャー。スピードガン、今の何キロだ。」

 杉浦監督に聞かれて絵理子がその表示を見せる。

「142キロか……。全国クラスだな。」

 これは打つのは骨が折れそうだ、そう杉浦が思った矢先にグラウンドに鋭い金属音が響いた。

 センターの刈谷の前まで白球が転がっていく。

「よーし、平田!ナイスバッティン!」

 苦戦を予想していただけに簡単に1本が出た事は拍子抜けだった。

 一方の美羽ナインには動揺が走る。

 美咲が先頭打者にヒットを打たれたのは初めてだったからだ。

「ドンマイドンマイ!あときっちり取っていこう!!」

 荻原の声が飛ぶ。美咲はここで初めて自分がヒットを許した事に気がついた。

(いかんいかん。何、気を散らしてんだオレは!)

 ヒットを打たれた事よりも晃司の事で集中出来なかった自分が腹立たしかたった。

(相手は強豪だ。気を抜いたらやられる。)

 そう自分に言い聞かせて集中力を取り戻した。

 いや、取り戻したつもりになっただけだった。

 次打者には簡単に送りバントを決められる。

 セオリー通りの攻め。普段の美咲ならこれぐらい軽く読んでいたはずだった。

 しかしそのバントが頭に入っていなかった。

(くそっ!)

 1死2塁。ランナーを得点圏においてクリンナップを迎える。

(余計な事を考えるな。オレらしくない。絶対に点はやらねえ。)

 気合を入れなおした美咲だったが、ネクストバッターズサークルで待ち構えている晃司が視界に入ってしまった。

 相変わらずの視線で美咲をにらみつけている。

 これが野球をやっている時の晃司の普段の目つきなのだろうが、美咲は未だに晃司に言われた冷たい言葉が耳に残っていた。

(何が見損なっただ!オレがてめーに何したって言うんだ!)

 ここでまたしても集中が大きく崩れた。甘い球を完璧に右中間に運ばれた。

 美咲は初めて先制点を許した。

「美咲のヤツ、何かおかしい……!」

 水渕は異変に気づいていた。ピッチングフォームに普段の躍動感がない。表情も暗い。何より普段と違って野球を楽しそうにやっていないのだ。

「相手が東校って事で緊張してるんですかね。」

と誠が心配そうに言う。

「アイツがそんなタマには見えんけどなぁ……。」

 水渕は首を傾げた。

 

 晃司が打席に入ると、守備側の空気が急激に重くなった。

 テレビで見たあの怪物が敵として打席に入っているのだ。

 晃司はマウンド上の美咲を無表情で睨みつける。

 美咲と晃司が敵味方で対戦するのは初めての事だったが、わくわくするような気持ちはなかった。

(絶対に三振に取ってやる!!)

 美咲の初球はストレート。ど真ん中に投げ込んだ。

 晃司はそれを悠然と見逃した。

「ストライク!」

(ふん、やっぱりな。てめーが初球に手を出さない事は分かってんだよ。)

 続く2球目も見逃してツーストライクに追い込んだ。

 そこで晃司の目が相手を見下すような目に変わった。いや、正確には晃司の表情は何も変わっていないのだが、晃司の悠然とした態度が美咲にはそう見えたのだ。

(この野郎…。1球あれば充分だってのか……。)

 カウントから言って追いこんでいるのは美咲の方である。精神的にも優位に立っていなければならない。2−0なのだから、いろんなパターンの攻めがあるはずだった。

 しかし実際に精神的に追いこまれていたのは美咲の方だった。

 3球目もストライクゾーンへ直球を投げ込んでしまう。

 そしてそのボールはグラウンドに戻ってこなかった。

 ガッツポーズも笑顔も何もなく、粛々とダイヤモンドを一周する晃司。

 美咲は何が起きたのかしばらく理解できなかったが、スコアが3−0になった事だけは理解できた。

「きゃー!やったじゃん、沖田君!良かったね、絵理子!!」

「うん!」

 女子マネはベンチ入り1名だが、今日は練習試合なので4人全員入っていた。

「……でも、沖田君………。なんだか嬉しくなさそう……。」

「何いってんのよ、絵理子。嬉しくないわけないじゃない。いつも沖田君は打ったあとあんな感じでしょ。」

「そうだけど……。」

 

 マウンド上で美咲は逆上寸前だった。

(くそっ!くそっ!くそっ!なんであそこであんな球を……!!)

 悔しくて仕方がない。あれは自分で意図して投げた球ではない。晃司に投げさせられた球だった。

「もう点はやるもんか…。今までよりもっと速い球でねじ伏せてやる……!」

 今のホームランで目がさめたのか美咲のフォームに躍動感が戻った。

 しかし水渕の表情は晴れなかった。

 躍動感は戻ったが、何かおかしい。いつもとどこか違うのだ。

 続く5番と6番は何とか打ち取った。両者とも外野フライだった。

(ちょっとその気になりゃこんなもんだ。三振にとれんかったのが気に入らんが。)

 そう美咲が首を傾げてベンチに引き返すところに神田がやって来た。

「なあ、美咲……。」

「なんだよ。」

「なんかちょっと…今日速球いつもより遅くねえ?」

「…ああ、ちょっと…な。でもホームラン打たれてからは速くなっただろ。」

 そう美咲が返すと神田は不思議そうな顔をした。

「……いや……むしろ、ホームランを打たれてからの方が……。」

「何言ってんだお前。オレはあれからスピード上げたんだぞ。」

「いや、でもよ。いつものおめーの速球はギューンときて、ズバ――ンと来て、それからズズズズーッて感じだけど、さっきのはギューン、ズバ――ンだったぜ?」

「……日本語で喋ってくれんと分からん。」

 そう言って一方的に話題を打ちきった。

「おーい。無視すんなよー。寂しいよー。」

(いつもより遅いだとぉ?血迷いやがって。)

 

「よし、じゃあ今日のオーダー言うぞ。」

 1番2番はどうやら刈谷、明彦で固定したようだ。打撃がチームで1番安定している荻原が4番、一番パワーがあり、今打撃絶好調の神田が5番。そして美咲は3番だった。

「相手先発は……本田じゃないな…。」

 本田は東高の3年生エースピッチャーである。しかし、今日マウンドに上がったのは身長160センチちょっとぐらいの非常に小柄なピッチャーだった。

「何だアイツ。えらくちっこいな。アキより小さいんじゃないか?」

 誠がカバンから大学ノートを取り出して調べ始めた。

「あれは…2年の辺見っていう投手だ。来年のエース候補みたいだから今日実践登板させてるんだな。」

「おお、さすがマネージャー。ちゃんと偵察してるんだ。」

「まあ、これぐらいしか出来ないからね。」

 現エースでないと聞いて神田が不機嫌になる。

「なんだぁ、エースじゃねえのか!?バカにしやがって!」

「まあ、仕方ないな。もともと東高はいいピッチャーがいると聞いて試合を申し込んできたんだから。」

「ぜってー、エースを引きずり出してやる。いいかおめーら、あんなチビ一気にぶっ潰すぞ!!」

「コラコラ神田!主将はオレだっつーの!!」

 その様子を見ても相手投手の辺見はひょうひょうとしていた。

「あれあれ、熱くなっちゃって。ま、熱くなってくれたほーが、オイラにゃ都合がいいけどさ。」

 キャッチャーは沖田である。去年の春の大会では外野だったが、その実力ゆえに今年は先輩捕手をサードに追いやってしまっていた。

「油断は禁物だぞ。1球1球丁寧に投げるんだ。」

「分かってるよ、そんなコト。1球入魂って言いたいんだろ?」

 先頭打者の刈谷に対し、初球から変化球で入った。

「!!」

 切れ味の鋭いスライダーが内角をえぐった。

 さらに続けて違う変化球を次々と披露する。

 その結果刈谷と明彦は連続三振に倒れた。

「すごい変化球だよ。魔法みたいだ。」

と明彦が言えば、刈谷もまた舌を巻いていた。

「コントロールもいいぞ。速球はあまり速くないみたいだが。」

「よし、じゃあオレが打ってやらー。」

 気合を入れて美咲が打席に入る。

「晃司、さっきはよく打ったじゃねーか。でも次からは打たさね―からな。」

 しかし晃司は美咲の方を向きもしない。

「この…済ましやがって……!もういいよーだ、ふん!」

 気合を入れて望んだこの打席、美咲は3球目を引っ掛けてショートゴロに倒れた。

「何だよ、もう!今日いいトコがねーじゃんか!」

 

「美咲も立ち直ったみたいだし、相手投手の力から言ってもこのあとは投手戦になりそうですね。」

 誠にそう言われた水渕だったが、はっきりとした返答は出来なかった。

「う〜ん………。」

 彼はまだ美咲が普段の調子に戻っている様に見えない。

(…下手するとワンサイドになるかもしれん……。)

 

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