seen14 軽蔑

 

 土曜日を迎えた。試合は午後2時に開始予定である。遅めの時間帯ではあるが、隣り校ならではの時間設定であった。

 そのため午前中は軽いメニューで身体をほぐしていた。

「よし、昼食にしよう。」

 まだ正午前だったが、練習に区切りもついたので早めに昼食を取る事にした。それに、なるべく昼食から試合までに時間を開けたかった。

「おーし!メシだメシだ―――!!」

 真っ先に弁当箱を開いたのはチーム一の大食らい、1年生の香田洋介だった。練習も試合もとにかくペース配分を考えず全力でぶつかる男だけに人一倍腹が減るのだろう。

「そんな慌てなくたって誰もおめーの弁当なんか食いやしね―よ。」

と言って美咲は笑った。

 一方、神田の子分の服部功一や、宮本四郎らはコンビニにサンドイッチを買いに行った。誰もが弁当を持ってきているわけではないのだ。

 ところで弁当を見てみると結構その人の特徴が出ていることに気付く。

 荻原の弁当なんかはご飯に梅干、あとは気休め程度のおかずと漬物だけである。

「………主将って…、本当に同世代なのか?」

 なんだか戦場の軍人を見ている様だった。

「さて、オレも食うかな。」

 美咲の事だからコンビニ組かと思ったが、弁当を持ってきていた。それも意外にかわいらしい小さめの弁当箱である。

「………なんだよ……。」

「いやっ…!なんにも……!!」

 慌てる神田と明彦。あまりに意外な物体が出てきたために2人は無意識のうちに目が点になっていた。美咲も恥ずかしそうな顔をしている。

「しょうがねえだろ…。オフクロがわざわざ作ってくれたんだからよ。」

 そう言って弁当箱のフタを開ける。その直後神田と明彦が地面に突っ伏した。

「ぶっ!!」

 これはさすがの美咲も箸を落としそうになった。

 中にはタコさんウインナ―やのりたまのふりかけご飯、ミートボール、サラダ、そしてウサギに切ったデザートのリンゴに小さいゼリーまでもが小さい弁当箱に所狭しと詰込まれていた。

「ぎゃはははははははは!!!」

 気がついたら全員が美咲の周りを取り囲んでいた。そして全員大爆笑。

「………ひょ…ひょっとして…弟のと間違って持ってきたかな………。」

 苦しい言い訳をする美咲だが、誰もそんな事聞いていない。

「ちくしょ〜。オレの硬派なイメージがぁ〜………。」

 穴があったら入りたい気持ちだった。

 

 一方、今日対戦相手の辻間東高校でもちょうどこのころ昼食を取っていた。

 男子部員達がそれぞれ食べているところから離れた所で、女子マネ達が昼食を取っていた。全部で4人いるが試合でベンチに入るのは一人である。

 彼女らは全員仲がいいらしく会話も弾んでいた。

「ねえ、絵理子。あんた告白しちゃいなよ。」

 ショートカットのボーイッシュな女の子が正面の子に話しかける。

 左右の2人も同じことを口々に言った。

 絵理子と呼ばれた女の子は眼鏡をかけていて体つきは細く、いかにも文学少女と言った雰囲気だ。他の3人に比べて、容姿はとびぬけて優れている。

「…ダダダダ…ダメよ!だって、この前浅川さんがダメだったんでしょ?あたしなんか絶対無理よ……。」

「なんでよ。あんた結構いいセン言ってるって!自信持ちなよ。」

「無理よォ!沖田君、きっと好きな人がいるんだわ。だから誰も相手しないのよ。」

「その好きな人があんたかも知んないじゃん。」

「そうそう。マネージャーなんだし、あんたが一番沖田君のケアしてるしね。」

「ちょっと!あたしはそんな…!!」

「あら、沖田君の事気にならないの?じゃあ、あたしが告白しちゃおかなー。」

「な…何でそうなるのよ〜!!」

 あわてる絵理子。すでに顔は真っ赤である。

「あんたねえ。このままじゃホントにただのマネージャーで終わっちゃうよ?いつ沖田君が他の女になびくか分かんないじゃん。」

「そうそう。大丈夫よ絵理子なら。」

「沖田君オクテだから、絵理子のこと好きだけど口に出せないだけかもよ。」

「そ…そうかなァ………。」

 3人の気迫に押された感も否めないが意外に単純なようだ。

「ほら!今、うまい具合に沖田くん一人になったよ!今のうちに行っといで!!」

「ええ!!嘘ォ!?いきなりィ!?」

 他の3人に腕を引っ張られていく絵理子。その様子に沖田も気づいた様だった。

「はは…。どうしたマネージャー。何か用?」

「あのネ、絵理子が言いたい事があるんだって。」

「わーっ!わーっ!わーっ!!」

 友人の声を掻き消そうと大声で叫んだ絵理子だったがその試みは失敗に終わった。

「オレに?何だい。」

 晃司が問い返す。もうあとには引けなくなってしまった。

「ほらぁ。言っちゃいなよ、絵理子。」

 じれったさそうに絵理子の左腕を掴んでいる友人がせかす。

「え……えっと…その……あの………。………し…試合…頑張ってね…。」

 脱力して崩れ落ちるほかの3人。言われた沖田もいつもと変わらない内容だったので拍子抜けしていた。しかし、気を取りなおして笑顔でこう返した。

「ああ。頑張るよ。練習試合でも手は抜かないさ。」

 3人の友人がため息をついている。絵理子の内心も穏やかではなかった。このままでは結局いつもと同じなのである。

 晃司が立ち去りかけたその時、意を決したように絵理子が言った。

「あ…あの……。し…試合が終わってから…あの……話があるんだけど……聞いてくれる………?」

 今にも消え入りそうな声を必死でしぼり出した。彼女にとってはものすごく勇気のいる発言であり、その一言を言い終わるまでの時間がすごく長い物に感じたに違いない。

「……今、ここでじゃダメなのか?」

「う…うん……。」

「そっか、分かった。じゃあ、試合から戻って着替えてから話を聞くよ。」

 そう言って晃司は話題を切り上げた。

 へなへなと崩れ落ちる絵理子。その絵理子を3人がはたきまくる。

「でかした、絵理子ォ〜〜〜!!」

「ちゃんと言えたじゃん!」

「ホントじれったいんだから!」

 人の気も知らないでいい気なものである。

「でも、何で今言わないの?せっかくそこまで勇気出したのに。」

「だって…試合前だし、気を散らせたくなかったもの。」

「まったく、ホントお人好しなんだから。まあ、そこがあんたのいい所なんだけどね。」

「その時はあんたと沖田君、2人きりだから。ちゃんとはっきり言うのよ。あたし達は何も手助けできないからね。」

 試合が終わって帰ってくるまでどれだけかかるか分からないが、絵理子にとって途方もなく長い物になるのは間違いなかった。やはり今言っておけばという気持ちがこみ上げてくるのを必死で飲み込んだ。

 

 さて、美羽高校にも先ほどの絵理子同様、時間の経過がいつもの数倍の長さに感じている人物がいた。言うまでもない、美咲である。

 もちろん恐怖と戦う時間が早く過ぎ去ってほしい絵理子と、楽しみが早く来てほしい美咲とでは時間が長く感じるという同じ表現でもニュアンスが違う。

 美咲はそわそわしてあっちへ行ったりこっちへ行ったりしている。テンションもいつも以上に高く、全身ではしゃいでいる感じであった。

(やっぱり…美咲さんは沖田君のことが好きなのかな……。)

 明彦はふとそんな事を考える。胸の奥が痛んだ。

(なに考えてるんだ、僕は。これから試合、それも相手はあの東高だっていうのに!)

 他の選手達も相手が県下ナンバー1チームとあって浮き足立っている。いつもと変わらないのは神田ぐらいなものである。

 心配なのは、相手が強豪辻間東であるにもかかわらず、その浮き足立ち方が、緊張し過ぎという性質の物でなく、むしろ緊迫感に欠けている事だった。

 美咲が投げれば何とかなる。そんな思いが全員の中であるのではないだろうか。

 

 午後1時を回った頃、辻間東高校の面々が美羽高校に到着した。

 校門からは校舎で隠れてグラウンドは見えない。

 きょろきょろしながらグラウンドを全員で探している。

 その中で晃司はつい別のものを探していた。

(今日は土曜日だからな。美咲が居るわけがないか。)

 もし居れば、今日いい所を見てもらいたいとも思ったが、そう心に浮かんできた所で慌てて横に首を振った。

(いかんいかん。グラウンドに恋愛を持ち込むなんてもってのほかだ。何より相手の選手に失礼じゃないか。)

 実に真面目な青年である。

 

 校舎の横を回り、グラウンドを見つける。すでに美羽の部員達が軽く身体を動かしている。

「本当に少ないな。」

「やっと人数がそろったばかりらしいからな。」

「どいつが噂の投手だ?」

 そう東校の面々が話し合っているところに水渕が挨拶に行った。

「久しぶりだな、貴行。」

 先に声をかけたのは東校監督の杉浦の方だった。実は杉浦と水渕は高校時代亨衛高校でチームメイトだったのだ。

「ああ。今日はお手柔らかに頼むよ。しかし、正直驚いたぞ。まさかお前の方からウチに練習試合を申し込んでくるとはな。」

「いいピッチャーがいると聞いてな。……ああ、お前らも練習開始しろ。」

 そう言って、杉浦が選手達をグラウンドに向かわせる。隣りという事で、すでにユニフォームには着替えてきていたのですぐにもウォーミングアップに入れる状態だった。

 

 晃司が荷物を置いて、グラウンドに出ていこうとするその時、一人の美羽の選手に声をかけられた。

 帽子を目深にかぶっているので顔が見えない。

「すいません。ちょっといいスか?」

「ああ、はい。何か?」

「こっちでは何なんで。」

と言って、校舎の陰に行こうとする。何がなんだかさっぱり分からないが、断る訳にも行かないのでついていく事にした。

 

「なあ、貴行。そのピッチャーってどいつだ?」

「ああ、美…近藤なら……。あれ?」

「どうした?」

「いない…な。トイレかな?」

「ん…?ウチの沖田もいない。どこ行ったんだ?」

 

 晃司は完全に人気のない所まで連れてこられた。

「こんな所に連れてきて…なんの用事ですか?」

 晃司がそう言いかけたその時その相手が帽子を取ったため晃司は言葉を失った。

「よっ。」

「み…、美咲!?」

「はははー。驚いたか。」

「お前…ユニフォームなんか着て……。どういうつもりだ?」

「いや、本当は秘密なんだけどさ。お前には分かっててもらわないと意味ねえから。」

「何が。」

「今日、オレ先発。よろしくな。」

「はあ!?」

 晃司は何がなんだか理解できないといった感じだ。

「へへ。やっぱりオレ野球やるよ。今日はいい勝負しようぜ。」

「…な…なんだと…。」

 晃司の声の調子が変わってきた。

「どういう意味だ、美咲……!」

「だから。美羽の先発はオレなんだって。オレが男装して投げるの。」

「……噂の美羽の投手って…お前の事だったのか…!」

「……晃司?」

「…それが、お前の選んだ答えなのか……!!」

「そ…そうだよ。なんだよ〜、怖い声出してさ。」

 しばらく黙り込む2人。しばらくして晃司が軽蔑のまなざしとともに口を開いた。

「見損なったぜ、美咲。」

「へ?」

「お前がそんなヤツだったとはな!!」

 そう吐き捨てて晃司は踵を返す。

「…お…おい……。なんだよ、それ……。」

 途方にくれる美咲。何がなんだか分からない。

「晃司!!」

 しかし晃司はもう振り返ることなくグラウンドに戻って行ってしまった。

 校舎と校舎に囲まれた無人の中庭に美咲は呆然と一人取り残された。

 

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