seen11 初戦
美咲は信じられなかった。
何が起こっても動じないような彼女が、しばらく放心状態になった。
「お前、マジか………。」
「だからーっ!何度も本当だって言ってんべ!?オレは野球は少年野球でサードをやった経験しかねーから、キャッチャーのリードなんてさっぱり分からん。」
「開き直るな!」
試合は明日である。美咲は神田と配球の打ち合わせをしているのだが、本番直前になって神田が配球が分からないと言い出したのだ。
「完全な素人かよ…。こんなヤツがオレの球を捕れると思うと悔しくなってくるな。」
しかし、今更キャッチャーは変えられない。というよりも、この学校に彼以外に自分の球を捕れる人物がいるとは到底思えない。
「よく聞けよ。基本的な配球はな、外角に見せ球を投げて、勝負球を内角の高めにズバッと投げ込んで三振をとるパターンと、内角に投げ込んでから外の速球で打ち取るパターンだ。」
「ほう。」
「オレはサウスポーだから、相手が左打者なら、内角に2球投げて相手の上体を起こしたところに外に逃げるスライダーで引っ掛けさせて内野ゴロにする手もある。」
「ははあ。」
「相手が外をカットできるようだったら、内角にフォークを投げて三振をとればいい。」
「………。」
「相手が右の場合、外角低めに2球速球を投げて………。」
「待て待て待て待て!そんなにいっぺんに言われても覚えきれん!」
「………そうだよなあ。」
しばらく黙り込む2人。
「……しょうがねえ。リードはオレがする。オレがサインを出すからお前はそれを見て黙って受けろ。」
「サイン?」
「ああ。スライダーは、投げる前に帽子を触る。フォークのときはそでを触る。」
「ふんふん。」
「それ以外はノーサインだ。ストレートが来るつもりで待てばいいよ。スローカーブなら、サインがなくても捕れるだろ。」
「なるほど。それなら楽だ。」
「そのかわりサインぐれーはちゃんと覚えろよ。」
部活終了後に荻原が全員を集めた。
「明日は待ちに待った練習試合だ。相手の矢富高校はあきらかにオレ達より格上のチームだが臆することはない。それぞれ練習の成果を発揮してほしい。」
そして、解散。
美咲は近藤誠に話しかけた。
「お前、ケガが治るまではスコアラーをやるんだよな。」
「ああ。幸い右手は無事だからね。」
「そっか。じゃあ、お前に頼みがある。」
「頼み?」
「とても酷なことをお前に頼まなきゃならねえ。すごく屈辱的なことだ。」
そう語る美咲の表情は真剣そのものだ。誠は緊張した。
「酷………?」
「このかばんを持って帰って、家で中を見てくれ。見ればオレの頼みが分かる。」
そう言って美咲は誠に何やら大きなかばんを渡した。
大きいがたいした重さはない。
「引き受けるも受けないもお前の自由だ。オレは文句は言わねえ。」
「……………。」
「でも、オレは信じてるぜ。」
最後に軽く微笑んで美咲は部室に戻っていった。
そして、この誠は家でかばんの中身を見て突きつけられた現実に愕然とする事になる。
家に帰った美咲はクラスメートの明美に電話した。
「あれ、美咲?あんたが電話かけてくるなんて珍しいわね。」
「今からそっち行っていいか?」
「え?いいけど。」
「じゃあ、すぐ行く。」
そう言って美咲は一方的に電話を切った。
電話をかけてきただけでも珍しいのに家に来ると言うのだから一体何があるのだろうか。
数分もしないうちに美咲はやって来た。
「何かあったの?」
「んー。ちょっと事情があってな。長髪を隠さなきゃなんね―んだ。」
「なんで?」
「ちょっとそれは秘密だ。」
新聞部の上おしゃべりな明美に自分が野球部に居る事を話したら3日もしないうちに全校に広まってしまう。
「やっぱ切るしかないのかな。」
そう美咲が言うと明美が顔色を変えて反対した。
「ば…バカな事考えちゃだめよ!そんなきれいな髪切るなんてもったいない!絶対ダメよ!そんなコトしたら承知しないからね!!」
「な…なんでお前がそんなにムキになるんだよ。オレの髪だろーが。」
「コ…コホン。とにかく!切るのはダメ!分かった?」
「………じゃあ、どうすりゃいいかな。一瞬だけ隠せりゃいいんだけど。」
「一瞬でいいの?」
「ああ。じっくり見られる訳じゃないからな。(ほとんど帽子かぶってるし)。」
「それならあたしに任せて。うまくばれないような髪型にしてあげる。」
そう言って明美は美咲の髪をいじりだした。
「おいおい、変な事すんなよ。」
「だいじょーぶ。ここをあーやって、こーやって……。」
「………。」
「ハイちょんまげ。」
「……………。」
「にゃんまげに、にゃんまげに、にゃんまげに飛っびっつこォ〜〜〜♪」
「誰がにゃんまげだ!!」
「あははははっ!ゴメンゴメン。次はちゃんとやるわよ。」
「っとに、頼むぜ。」
「オダンゴ頭にしちゃおっか。」
「あ、それはダメだ。帽子かぶれないから。」
「帽子かぶんの?」
「……まあな。」
「じゃあ、しょーがないわねぇ。ここをこーやって………。」
こうして散々明美にオモチャにされたあとそれなりに納得できる髪の縛り方を教えてもらった。
そして、日曜日。
「美咲、どうした?」
「誠のヤツ来るかな……。」
「…昨日渡したあのかばんに何かあるのか?」
「ある。あの頼みを引き受けることはアイツの全人格を否定しかねない。」
「そ…そんなすげえこと頼んだのか?」
「誰かがやってくれないと先に進めねえんだ。」
そしてしばらくして人影が現れた。
最初みんな誰か分からなかったが、近くに来てそれが誠だと分かった。
「ぎゃはははははははははははは!!!」
全員関を切ったように笑い出した。
「わ…笑うなよ!美咲!お前がなんで一番笑うんだ!!」
「うひゃひゃひゃひゃ!!」
「……ひ…ひィ〜〜……。わ…わりィ……。…でも……プッ!……くははははっ!!」
「くっ…くそ〜〜〜〜〜っ…。やっぱり引き受けるんじゃなかった。」
みんなが笑うのも無理はない。
誠はセーラー服を着て女性用のカツラをかぶって、さらに化粧して女装しているのだ。
「な…なんなんだ、そりゃ。誠〜!!」
「しょうがないだろ!美咲は女子マネとして登録されてるんだから!美咲がオレの名前で出る以上、オレが美咲になりすまさないといけないんだ!」
「ぶははははっ!そ…そーゆーことか!でもその化粧はねえだろ。」
「やっぱ濃かったかな。」
そこで美咲が誠の方を軽く叩いた。
「きれいだ、誠。よく似合ってるぞ。」
「じゃかまし!!」
「プッ…くく…。じゃ…じゃあ、矢富校に出発するぞ。」
「ひでー。先生まで笑って…。」
「みんなは電車で来い。誠はこれ以上醜態をさらすのは気の毒だから、オレが車で連れて行く。」
「しゅ…醜態って……。」
こうして美羽校野球部10人は初めての試合へと出発した。
「さー、来たぞ来たぞ!血が騒ぐぜ!早く試合やろーぜ、試合!!」
「美咲…、はしゃぎ過ぎだ……。」
早速美咲は昨日明美に教わった通り髪をしばる。
「何してんだ?」
「こうしとかねーとな。礼とかハッスルプレーで帽子で隠せない時があるから。」
「それでもばれないか?」
「帽子を取るのはわずかだから平気さ。じっくり見られる事はないからな。よし!主将、準備運動始めよーぜ!」
「気合十分だな、美咲。よし、じゃあ始めるぞ!!」
その頃水渕は相手監督の江口に挨拶をしていた。
「はじめまして、美羽校野球部の顧問となりました水渕です。今日の練習試合、引き受けて下さってありがとうございます。」
「いえいえ、こちらこそ。おたくの部員は活気があっていいですなあ。」
「はい。今まで人数が揃わなくて試合がやりたくても出来ずに我慢していましたから。」
「なるほど。それだけ気合が入ってるとなるとこちらも相当な覚悟でかからねばいけませんな。」
「はははは。お手柔らかにお願いしますよ。まだまだ素人軍団ですので。」
友好的な会話に感じるが、相手の江口はあきらかに水渕を若輩とあなどり、美羽校野球部を格下として見下している。
その証拠に、水渕との話を切り上げたあと自分のところの部員達にこう言った。
「相手は無名校どころか初心者同然だ。野球の厳しさを教えてやれ。今日は10点差以上つけて勝つぞ。」
「はい!」
美咲の表情がにわかに変わる。
「ど…どうしたの、美咲さん?」
明彦が聞き返す。地獄耳の美咲以外には聞こえていないのだ。
「なめやがって。…10点以上差をつけるだぁ?」
それを聞いて神田がかっとなる。
「なんだと!あいつら、ぶっ殺して…!!」
「気にするな。美咲のピッチングを見ればあんな軽口すぐに消えるさ。」
水渕に制されてぐっとこらえる美咲と神田。
「ふん。今に見てろ。すぐに青ざめさせてやるからな。」
「そうだ、グラウンドで見返してやれ。それからみんな。相手に美咲って聞こえるように言うなよ。今は近藤誠なんだからな。」
「はい、分かってます。」
両チームとも準備が終わりいよいよ試合開始である。