seen6 緩急
部活の時間が始まる数分前。部室の前には早くもユニフォームに着替えた美咲を除く野球部員全員の姿があった。
「コレは結構気を使うな…。」
と、荻原。そうなのだ。更衣室が男女分かれているわけではないので、着替えをするときは、時間をずらさなければならないのだ。
「時間が合わないときは困っちゃうよな。中にカーテンをしいて区分けするしかないな。」
「霧野の性格は男と変わらないのになあ。」
部員の一人がそう言って、全員大爆笑した。
「何だと、コラ。」
全員が凍りついた。美咲がすぐそこにいたのだった。
「あ…あはははは!!いやあ、美咲ちゃん、今日も可愛いねえ!」
「霧野、お前には期待してるぞ!」
あわてて美咲を褒めちぎる。舌打ちして美咲は更衣室に入っていった。
そこへ水渕がやってきた。
すでに着替え終わっている部員達を見て水渕は感心した。
「やあ、みんな!今日から顧問になった水渕だ!えらいな、もう着替えて準備してるなんて。気合が入ってる証拠だな!よし、先生もみんなに負けないぞ。」
そう言って、水渕は着替えるべく更衣室に入ろうとする。
「あ…!先生!!ちょっと待ってください!!」
「ん?なんだ。先生も着替えなくちゃいかん。なーに、思春期の少年達の部室にいかがわしい本とかがあるのは付きもんだ。先生はそういうのは一切気にしないから安心しなさい。」
何も知らない水渕は部員の制止も聞かず地獄の門を開けた。
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「きゃあああああああああ!!」
「うわあああああああああ!!」
どがーーーーーーーん!!!
「ぶべらっっ!!」
互いの悲鳴が聞こえたと思ったらものすごい勢いで水渕がぶっ飛ばされてきた。
「てめえええ!!この野郎ォオ、見たか!見たのか!?許さん!ぶっ殺してやる!!!」
「見てない!見てないです!!ボカァ、何にも見てない!!」
「嘘つけ!しっかりとその両目で見やがったじゃねえか!えぐる!目ん玉えぐり出しててめえン家の今晩の味噌汁にぶち込んでやる!!」
「うわああ!やめろ霧野!気持ちはわかるが落ち着け!!」
必死で止めに入る部員達。美咲なら本当にやりかねない。
「先生、大丈夫ですか!?」
「だ…大丈夫じゃない…。」
ちなみにこの時点の美咲は下着姿だった。しかもまだスカートは履いている。
「し…下着姿見られたぐらいでここまでするか…?」
哀れ水渕、顧問初日から生死の境に立たされた。
「えー、僕が今日から野球部の顧問になった水渕貴行です。ちょっとしたハプニングがありましたが、精一杯やっていきたいと思いますんで、よろしくお願いします。」
水渕の顔は見るも無残なほど腫れ上がっている。彼は今日で終わりかもしれない(笑)。
「それにしても、何で霧野がユニフォームに着替えてるんだ。」
「てめえに説明する必要はねえ。」
美咲は口をきいてくれそうもない。
「…実はですね、先生。」
甲斐が事情を説明した。
「な…何だって…。そんな無茶だぞ、女の子が出場するなんて…。」
「そ、それは分かってます。でも、霧野の投げる球を見てください。本当にすごいんですよ。」
美咲の投げる球がすごいかどうかなんてこの際関係ないとは思ったが、部員達が一様に誉めるその美咲のピッチングを見てみたいとも思った。
「……美咲。先生がキャッチャーをやってやる。投げてみろ。」
「ええ!?先生、大丈夫なんですか!?」
水渕はやさ男という体格だったから部員達の心配も無理ない事であった。
「はは、こう見えても先生は高校球児だったんだぞ。亨衛高校でレギュラーやって、地区予選でベスト8まで行ったんだから。まあ、本職はセカンドだったけどな。」
そう言って、キャッチャーミットをつけてホームベースのところに構えた。
一方の美咲は何だか嬉しそうな顔をしているのが明彦には怖かった。
「これなら合法的に殺せるな…。」
「だああああああ!!霧野さん!!」
どうやらまだ根に持っているようだった。
「さあこい、美咲。最初は軽くでいいぞ。」
軽く投げ込みからスタート。球の回転と、重さを実感した。
(こりゃ、本当かもしれないな…。)
何球かキャッチボールをして、水渕がついに座った。
「いくぜ、変態教師!」
「うぐっ!」
美咲に痛いところを突かれた水渕だが、頭は冷静さを保っていた。
ぎゅおおおおおおおおっっ!!
ズドーーーーーーーン!!
ものすごい勢いの速球がキャッチャーミットに突き刺さる。ミットをしている手がものすごい衝撃に襲われた。
シュイイイイイイイイン
バシーーーーーーーン!!
(こ…これはすごい…!たしかに速い。だが、それ以上に打者の手元で伸びてくる。スピード表示では、これはおそらく140キロぐらいだろうが、バッターには150キロ級の速球に見えるはずだ。)
「おい!誰か、バッターボックスに立ってくれないか!」
呆然と見ている部員達に水渕が声をかけた。
「お…お前行けよ。」
「い…いやだよ。そう言うお前が行けばいいだろ。」
なかなか出てこようとしない。その時、
「僕が立ちます。」
そう言って出てきたのは明彦だった。
正直明彦も怖くないわけはなかったが、美咲の投げるボールをボックスで見てみたかったのだ。
そして、水渕は内角に構えた。
ぐおおおおおおおおっっ!!
ズバーーーーーーーーン!!
打者が立っていようと立っていまいと、美咲の剛速球の威力は衰えることなく、水渕の要求したところに寸分違わず突き刺さった。
(コントロールもいい。それに打者に対しても臆する所がない。)
もちろん、強打者が打ち気まんまんで立っているのとは条件が違うが、精神的にも強そうだというのは分かった。
「美咲!次は変化球を投げてみろ!」
迫力のあるフォーム。身体は細いが相手に威圧感を与えるフォームである。そこから先ほどと同じように腕を思いきり振ってきた。
………が。
今度はさっきまでとはうって変わってドロンとした力のないボールが飛び出してきた。
ぽすっ。
(こ…こいつ…。スローカーブまで投げるのか……。)
水渕の推測どおり、美咲がいま投げたのはスローカーブだった。速球が素晴らしく速いためこのスローカーブは相手のタイミングをはずすのには最高の球だ。
(しかも、同じ腕の振りだ。それにきちんとコントロールされている。)
「ほ…他に投げられる球はないのか!?」
「スライダーとフォークかな。」
「よし、じゃあスライダーから投げてみろ。」
そして、2〜3球スライダーを受けた。
(うーん。まあ、このスライダーは普通だな。決して悪くはないが、さっきのスローカーブがすごかっただけにちょっと物足りないかな。)
「よし、次はフォークを投げろ。」
そこで美咲がにやりと笑った。水渕は嫌な予感がした。
びゅうううううううっ!!
勢いのあるボールが低めのコースに飛んできた。そして、それが目の前まで来たと思った瞬間、
「ボ…ボールが消えた!?」
水渕がそう思ったその直後、下から股間にものすごい激痛が走りぬけた。
うずくまる水渕。
「こ…このヤロ…。これを狙って、わざと低めに投げやがったな……。」
「あははははははっ!!」
マウンドで美咲は笑い転げている。他のみんなもおかしかったが、あまりに水渕が気の毒で笑うに笑えなかった。
「あっはは!ざま−見ろ、ブッチ。人の着替え覗いた罰だ。」
「あれだけボコにしたのにまだ気が済まんのか…。」
「美咲はたしかにすごいピッチャーだと思う。球の力、変化球のキレ、制球力。どれを取っても一級品だ。大会までには仕上げる事が出来るだろう。だが、この事がもしばれたら大変な事になるぞ。」
「承知の上です!」
荻原は力強く答えた。
「オレ達は霧野と心中する覚悟でいますから!」
ここまで決意を固めてると水渕も何も言えなかった。水渕本人も美咲を中心選手に据えて、行けるところまで行ってみたいという気持ちが沸いてきていた。水渕も若い教師だけに冒険心が強かった。規則を破る事に対する罪悪感と同時にわくわくした感情がこみ上げてきたのだ。
しばらく考え込んで、水渕が口を開いた。
「よし、わかった。先生も協力しよう。そして、一緒に甲子園目指して頑張ろう。だが、問題はキャッチャーだな。美咲の速球、変化球ともに非常にレベルが高いだけにかなりのキャッチング能力が要求される。」
「オレがやります。」
荻原が力強く宣言した。
「この大役をこなすのはやはりキャプテンのオレしかおらんでしょう!!」
そう言う彼の目は燃えていた。
「うん。じゃあ荻原に頼もう。じゃあみんなさっそく練習を始めよう。まずはランニングだ。」
神田は近くのゲームセンターで格闘ゲームにハマっていた。
「くおっ!この、くそ!ぐわっ、ガードしやがった!ちくしょう、出ろっ、出ろっ!!」
ゲームオーバーになって神田は心底悔しそうだった。
「あそこで必殺技が出てたら、勝ってたんだぞ。こりゃ、機械が悪い。せっかくオレが芸術的な戦い方をしてたのにこの機械がボケてやがるから、オレの入力した技を認識せんかったんだ。」
別に誰もゲームオーバーになった事をバカにしてはいないのだが、とにかく悔しいらしく取り巻きの二人に言い訳をしている。
「ところで、神田さん。霧野なんですがね。」
「あ?美咲がどうした。」
「何でも、野球部に入ったらしいですよ。」
神田の目が点になった。
「お前とうとう頭イカれたか?女が何で野球部に入ってんだよ。」
「いや、それがどうも本当らしいんスよ。今日、霧野が野球部のユニフォーム着て練習に参加してるのを見たんスから。帽子を深くかぶって髪を隠してたけど、ありゃ確かに霧野でした。」
「………。それが本当だとしたら……。あいつが目当てか。」
どうやら神田は美咲が明彦に気があると思っているようだ。
「行くぞ、おめーら。」
3人は学校に引き返した。