seen5 俺は走り出したら止まらない

 

 美咲が入部する事で、野球部のメンバーは6人となった。だが、試合を組むにはまだ3人足りない。これがまず当面の問題であった。

「これでやっと6人か。3人まだ必要だな。」

と、荻原。もともと彼らは大会に出場したいという気持ちはあったが、これまでそんなに人数集めに躍起になってはいなかった。自分達の能力では、どっちにしろ1回戦敗退が濃厚だろうというあきらめからだろうか。しかし、美咲の剛速球を目の当たりにして、行けるかも、という気持ちが単純ながら芽生えたことが彼らを人数熱めに本腰を入れさせていた。

「3組の前川はどうかな。あいつは結構足も速いぞ。」

「いや、あいつはもう陸上部に入ってる。」

「そうなのか、じゃあ8組の柳は?」

「あいつは大学受験に向けて勉強中で部活動どころじゃないって。何でも東大目指してるんだと。」

 名前は挙がるが、どれもこれも難癖がついて誘えない。数分こんな問答を繰り返して、ついに美咲が爆発した。

「そんな事言ってたら、いつまでたっても9人揃わねえだろ!!」

 そして、校庭の方を見た。ちょうど、文化系の部に所属してそうな男子生徒が3人並んで下校しようとしているところだった。

「待ってろ。何とかしてきてやる。」

 美咲は彼らのほうに歩いていった。

「あいつ、何をする気だ?」

 全員何か嫌な予感がした。

「おい。」

 美咲に呼びとめられて、3人は硬直した。目は明らかにおびえている。

「ちょっとさぁ、顔貸してくんねえか?」

 美咲は彼らを校舎の横に連れていく。完全に人気のないところである。

「おい、どうしよう。2年4組の霧野だぞ。」

「ええっ、あの冬眠中の熊をわざわざたたき起こしてぶち殺したっていう!?」

「違うよ、新幹線を片手で止めたっていう話だよ。」

「いや、オレは宇宙人にさらわれたけど、UFOを占領して地球に帰って来たって聞いたぞ!」

 とんでもない言われようである。美咲のこめかみに血管が浮き出てきた。

p04.jpg (20009 バイト)

↑美咲「…オレは一体何者だ。」

「おめーら何か部に入ってんのか。」

「ぼ…僕は美術部に。」

「僕は鉄道研究会。」

「僕は写真部です。」

と、答える3人。

「よし、じゃあ早速退部届け出してこい。」

 美咲は天使の微笑を持って、悪魔の答えを放った。

「ええ!?どうして!?」

 非難の声を上げる3人。当然である。

「野球部がさぁ、人数足りねーんだよなあ。誰でもいいからあと3人欲しいんだよ。」

「そ…そんな事言ったって、僕野球なんて出来ないし。」

「大丈夫だって。練習すりゃ何とかなる。」

 有無を言わさない。3人にとってはとんだ災難だ。今日の運勢は大凶に違いない。

「いや、ホント勘弁して下さい。僕は今の部はやめたくないんです。」

「あ?何いってんのお前?」

 だんだん美咲の目が狂気の色に染まり始めた。お前らに選択権なんてないと言わんばかりだ。

 傍から見てると恐喝しているようにしか見えない。

 一人などついに泣き出してしまった。

 3人がいよいよ本気でおびえ出したその時、そこに駆けつけた野球部員達が美咲を取り押さえて部室のほうへ引きずっていった。

「だああああ!!何しやがるてめえら!あとひと押しだったのに!!」

「いや、ホントに申し訳ない!こいつにはよく言ってきかせとくから!さ、行って行って!」

「おいコラ、逃げんなてめえら!くそっ!覚えてろよ!!」

 美咲はどんどん向こうへ引きずられていく。彼らは助かったのだ。

「よ…良かったぁ〜!!」

「怖かったよ〜〜〜!!」

 3人はその場に崩れ落ちた。

 

 

「何考えてんだお前は!あんな勧誘の仕方があるか!」

「何かおかしかったか?」

 美咲はバカにしてこう答えているのではない。本気で何が不満なんだと言っている。

 どうも彼女は世界中の人間全てが野球をしたくてたまらないのだと思っているらしい。

「人数をそろえて。ポジションを決めて。連携プレーとかサインとか全員でやんなきゃいけねえ事がたくさんあるんだぞ。悠長な事やってられっか。」

「それは分かってる。だが、嫌がる人間を無理やり入部させてどうなるんだ。」

「じゃあ、誰かアテはあるのか。」

「………それは……。」

 美咲のやり方は間違っていたにしても、少しでも時間を有効に使うためには一刻も早い人数集めが求められているのも事実だった。

 

 

 今日のところは何とか美咲をなだめて帰らせた後、主将の荻原と副主将の甲斐が部室で二人話していた。甲斐は荻原と対称的に心配性で、美咲の入部についてはいまだに納得していなかった。

「大輔、本気か?たしかに霧野の実力は認める。だが、規則を破るわけにはいかないだろう。」

 大輔とは荻原の事である。ちなみに甲斐は慎一という名前だ。

「オレ達の目標はあくまで甲子園だ。あんなに優秀な選手が自分から飛び込んできたのに断る理由があるか。」

「しかし………!!」

「それに霧野の気持ちは痛いほどよく分かるぞ。もしオレが同じ立場だったとしても同じ事をするだろう。」

「ばれたらただじゃすまないぞ!」

「その時はその時だ。規則を守ったところで、どっちにしろオレ達が甲子園に行くなど到底無理だ。だったらオレは少しでも可能性のあるほうを選びたい。」

「………。」

「それでもお前はやっぱり不満か、慎一。」

「………いや、オレだってもちろん甲子園に出たい。霧野の力で甲子園に行けるのなら賭けてみるのも悪くないかもしれない。だが、現実はそんなに甘くないと思うんだ。」

「甘くはないだろうな。でも、かなり展望が広がったと思わないか。」

「かもしれん。でも、全国…いやこの愛知県だけ見ても霧野ぐらいの投手はゴロゴロいるような気がするんだ。」

「それはないだろう。あの速球。しっかり練習を積んだら150キロ近くいくんじゃないか。」

「仮にそうだとしても、まだ問題は山積みだぞ。まず第一に誰がキャッチャーをやる?ウチの部員達があんな球を何試合も受けつづけられるのか?まだあるぞ。霧野の球は直球しか見ていない。140キロぐらいの速球は強豪校なら投げられる選手は何人もいる。相手だって研究してくる。たった一人で投げぬくには強力な変化球が2つぐらいは必要だ。もし、霧野が変化球を持っていなかったら、いまからマスターする時間なんてないぞ。」

 甲斐に一気に問題点をまくし立てられてさすがの荻原もちょっと不安になってきた。

「……キャ…、キャッチャーは…キャプテンであるオレがやる。オレが根性で取ってやる。あと、変化球だが、霧野も変化球ぐらい投げられるだろう。ははは…、慎一は心配しすぎだぞ。」

「杞憂ならいいがな。」

「さし当たっての問題はキャッチャーか。適任者がなければオレがやるしかないな。」

 

 

 次の日、明彦は授業中落ち着かなかった。何故かというと、あれだけ昨日はしゃぎまくっていた美咲が学校に来ていないのである。

(霧野さんにとっては、今日が練習初日だっていうのに…。)

 美咲に何かあったのか心配になってきた。

 しかし、そんな明彦の心配など知らない美咲は、三時間目が終了したあとの放課時間に堂々と重役出勤してきた。病気とか怪我ではない事は美咲の

「オッス、立花。今日もいい天気だな。」

という威勢のいい挨拶で証明された。

「いい天気なのは霧野さんの頭の中だよ…。」

「お、お前も言うようになったねえ。」

「いままで何してたの?寝坊?」

 美咲はかばんの中から何やら取り出した。

「見てくれよ、コレ。いいグローブだろ〜?」

「ま…まさか、授業サボってそれを買いに行ってたんじゃ…。」

「まさかじゃねえよ。当然だろ。自分のグラブで練習したいもんな。」

「いや、だからといって授業をサボって…。」

「だいじょーぶだって。どうせ授業出てたって寝てるだけなんだから。」

 たしかに美咲が授業中起きているのは見たことがない。

 起きてたとしても早弁をしているか、マンガ本を読んでいるかである。

「途中でパトロール中の警官に見つかってよ。危うく補導されるとこだったぜ。」

「え!?どうなったの!?」

「警官に呼びとめられたけどよ、そばにあったドブ川に蹴り落としてやった。一瞬しか見られてないから多分ばれねーだろ。そん時は私服だったし。」

「そういう問題じゃないよ〜!!」

 美咲は迷惑なぐらい行動力にあふれているということを改めて痛感した。

「ところでね、霧野さん。白井先生が病気になってしばらく学校に来れないんだって。」

「誰だそりゃ。」

 美咲の返事に明彦はずっこけそうになった。

「ウチの部の顧問の先生だよ!」

「あ、そうなんだ。でも、どうせ練習にこねえんだろ?関係ないじゃん。」

「そういう訳じゃないんだよ。白井先生がいないから代わりの顧問の先生が就くんだって。いままで白井先生だったから霧野さんが入部しても心配なかったけど、もし今度の先生が部活動に積極的な先生だったら、霧野さんが野球部の一員である事を説明しなくちゃいけないんだよ?」

 さすがの美咲も顔色が変わった。

「そ…そいつはやべえな…。そいつにオレの野望が邪魔される可能性がある…。だ…誰が後任に就いたんだ。」

 いつのまにか彼女の夢は野望という名に変わっていた。

「世界史の水渕先生だって。」

 そう聞いて、美咲の表情がぱっと明るくなった。

「ブッチか!そりゃいいな!」

 ブッチというのは水渕のニックネームだ。彼は教師生活三年目の新米教師で、甘いマスクで女生徒達から人気がある。いや、人気があるというよりは、真面目でお人好しな性質上、女生徒たちにオモチャにされているというべきかもしれない。そのため、とある女生徒に苗字の水渕と掛けあわせてブッチというあだ名をつけられてしまったのだ。そんな男だから、美咲は扱いやすいと思った。

「たしかに水渕先生なら物分り良さそうだよね。」

「いや、奴が顧問になるとすればそれ以外にもオレ達にとって大きなプラスがある。」

「え?実はすごく野球に精通してるとか?」

 期待を込めて聞く明彦。

「あいつが顧問になれば世界史の点数をおまけしてもらえるかもしれん。」

「………。」

 

 

 その頃ブッチこと水渕貴行は野球部のメンバー表に目を通していた。

「うわ。こりゃ本当に少ないな。コレは骨が折れそうだぞ。…荻原の話によると今週二人部員が増えたらしいが。」

 そこに教頭が通りかかった。

「おや、熱心ですな水渕先生。でも、そんなに入れ込む事はありませんよ。ウチにはサッカー部がありますからな。野球部のほうは適当にやってくだされば。」

 そう言われて、思わず水渕は立ちあがった。

「いいえ!教頭先生!!この僕が美羽高野球部を立て直して見せます!そして、辻間東を凌ぐ強豪校に育て上げて見せます!!大船に乗った気持ちでいて下さい!!」

「は…はい。」

 水渕の気迫に押されてたじたじになる教頭。その様子を他の職員達がクスクスと笑いながら見ている。

 はっとする水渕。

「あ…はは……。また、やってしまった。ああ、もうすぐ授業だ。行かなくちゃ。あははは。それじゃ失礼しまーす。」

 さすがに照れくさく、せかせかと職員室を出ていった。

 

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