seen4 美咲の実力
明彦は美咲と顔を合わせづらかった。
美咲に対して持っていた疑問は解けたが、同時に彼女が引きずっていた苦しみを知ってしまったからだ。
のうのうと、高校球児としての夢を持ちつづけられる自分が何を言ったって、よけいに彼女を傷つけてしまうかもしれない。そんな事を考えていたら後ろから誰かに後頭部をド突かれた。
「オーッス!立花。」
振り返るとご機嫌な美咲が立っていた。こんなに明るい美咲を見るのは初めてだ。昨日のあの状態から何があったら今日の美咲になるのか。明彦はやっぱり美咲をわけの分からない娘だと思った。今日の美咲はカラ元気ではなかったからだ。
しかし、美咲自身にとっては当然の変化だった。自分が何年も苦しめられてきた心のつかえが取れたのだから。むしろ今の状態が本当の美咲だったというべきだろう。
美咲はこの日野球部に入る気になっていた。おそらく、女だからという理由で入部を拒否されるだろう。また、入部できたところで、晃司と一緒に甲子園優勝は出来ない。
しかし、野球を続けさえすれば、晃司との約束にこたえる事が出来ると思った。別の場所ではあるが、また二人とも野球のユニフォームに袖を通す事が出来るのだ。そのために行動を起こすことが何よりも大事な事だと思った。
授業が終わって、明彦は部室に向かった。ただ、何だか今日はいつもと違う感じがする。そう、美咲がついてくるのだ。それも何だか妙にニコニコしている。正直、かなり不気味だった。
野球部の部室の前に主将の荻原がいた。そして、ごくわずかの野球部員達が取り巻いていた。彼らは明彦の後ろにいる人物を見て唖然としていた。
「あれって、4組の霧野だよな。」
「あのケンカ番長か。」
「な…何しに来たのかな。」
「ひょっとして、オレ達から金をせびろうとか…。」
明らかに動揺している部員達。
動揺というよりは、おびえていると言った方が近い。
彼らを見かねて、荻原は美咲のほうに歩み寄って尋ねた。
「霧野じゃないか。野球部に何か用か?」
荻原は神風特攻隊の気分だった。もし、美咲が部員達の恐れている通り、野球部を自分の財源としようとしているのだったら、たとえ敵わないとしても野球部を守るため戦うつもりである。美咲の心を知っているものから見れば滑稽な決意だが、そう思われるほど、美咲の評判は悪かったのだ。
だから、美咲の次のセリフを聞いた部員達は全員耳を疑った。
「コホン、…オ……、オレをさ…使ってみる気は…ねえか……?」
美咲は実は極度の照れ屋である。いろいろとなんと言って入部希望しようか考えてきたが、いざ言おうとした時全て忘れてしまったのだ。そのためまるで用心棒が自分を売り込みに来たようなこんなセリフになってしまった。
「マ…マネージャー志望か…?」
荻原はホッとした。
部員達はというと、恐れと期待の入り混じったような表情をしている。全員どっちにしろ美咲が怖いと言う気持ちは変わらない。しかし、美咲はこの学校でも5本の指に入るほどの美人である。彼女が女子マネになるのだとしたら、彼らにとってかなりの自慢にもなるのだ。
「いや、ピッチャー志望だ。」
この言葉には、明彦も驚いた。まさか美咲がこんな答えを出すとは思ってもいなかった。美咲は、晃司の夢の後押しをするのでもなく、また、彼の夢について行くのでもない、自分も晃司と同じ夢を強行する道を選んだのだった。
「霧野…正気か?………女が野球部に入るなんて……。」
聞き返す荻原。当然の反応である。美咲もこういう反応をされる事など予測済みだ。
「悪いかよ。」
「い…いや……、良い悪いの問題じゃなくてだな。規則上……。」
「そんなもん無視しちまえって。」
「無視って、お前……!」
「オレの投げる球見りゃOKする気になるぜ。」
強引な物言いは美咲の十八番だ。気がついたらみんなとやかく言う前に美咲の全力投球を見ることになっていた。美咲はユニフォームを持っていないので、制服のまま投げる事にした。
「まあ、今日はこれで我慢するしかねえな。」
軽く明彦とキャッチボールして肩慣らし。そして明彦を座らせた。
キャッチボールを見て、明らかに美咲の実力が普通の女子のものとは違う事はさすがにみんな分かった。全員固唾を飲んで見守っている。完全に美咲のペースだ。
「じゃあ、いくぜ。」
ワインドアップモーションから、大きく右足を上げた。はっきり言って女の子の投球フォームではない。足を大きく前に踏み出し、鋭く腕を振ってボールを投げた。
ギュオオオオオオオオオオオッッッ!!
「うわあっ!!」
ガッシャーーーーーーーーーン!!
明彦はキャッチするつもりだったが、あまりの球の速さに反射的によけてしまった。そしてボールは後ろのバックネットにめり込んでしまっていた。
「立花。取れねえなら無理することねえぞ。」
そう言って美咲は明彦をどけて、さらに何球か投げてみせた。
明彦も美咲の全力投球を見るのは初めてだった。実にきれいなフォームをしている。足は高く上がり、それでいて重心移動はスムーズ。上体はきちんと反り返り、下半身はしっかり大地をつかんでいる。ひじもきちんと上がっている。そして球持ちも長いのでコントロール、キレともに最高級だった。
美咲がリトルナンバーワン投手だったというのはあながち嘘ではなさそうだ。
「す……すげえ………。」
部員達は言葉を失っていた。それほどまでに美咲の投げる球はすごかった。スピードガンがこの場にはなかったが、130キロ後半ぐらいは出ているのではないか。まして今の美咲は動きのとりにくい制服姿で、満足な投げ込みはしていないのである。ブランクを埋めて、万全の状態で投げさせたらどこまでスピードが出るか想像がつかなかった。
「どうだい?」
まるで魂を抜かれたように見入っていた部員達に美咲は声をかけた。
「………な…何者なんだお前は…。」
荻原は信じられないといった表情だ。
「オレを野球部に入れてくれるか?」
そう美咲に言われたが、荻原は迷っていた。
「霧野の実力は分かった……。だが、高校野球は女子禁制だぞ。どうやって試合に出るつもりなんだ。」
美咲は待ってましたと言わんばかりに自信を持って答えた。
「簡単じゃねーか。別の生徒のフリをすりゃいいんだよ。」
「な…何ぃ!?」
「つまりだ。別に霧野美咲じゃなくてもいいワケだ。オレがこの部の男子生徒に変装して試合に出れば問題ないじゃん(^^)。」
この美咲の提案には明彦もあきれた。替え玉出場をしようというのだ。
「これぞ名付けて国政克美作戦。」
どうやら某野球小説(勝利投手)に同じ方法で甲子園に出場した人物がいるらしい。
「でも、これがばれたらただじゃ済まんぞ……。」
荻原の不安はもっともである。美咲は続けた。
「お前も甲子園に出たいんだろ。」
「そ…そりゃあそうだが……。」
「悪いけど、今のこのメンバーで、甲子園に行く力があるとは思えん。」
「う………。」
全員言い返したかったが、正論なので何も言えなかった。
「でも、オレが投げれば可能性はあるかもよ。」
さらに荻原は考え込んだ。たしかに美咲が加われば大きな戦力である。超高校級ピッチャーである事は間違いない。だが、危険な賭けであることも事実だ。
(もう一押しだな。)
「どっちにしろこのままじゃ甲子園には出れねえ。だったら賭けてみてもいいんじゃないのか?」
「…むむ…。」
「このまま弱小校呼ばわりでいいのかよ。」
「……むむむ…。」
「無駄に三年間終わらせるよりは、何かやってみた方がいいと思うぜ。」
最後のセリフは、自分自身に向かって言っている様でもあった。
明彦も必死になって荻原に頼んだ。
「キャプテン。僕からもお願いです!霧野さんはずっと野球がやりたいのを我慢してきたんです。僕らよりずっと力があるのに、女だからって理由だけで断念しなきゃならなかったんです。僕も甲子園に行きたいし、霧野さんに野球をやらせてあげたい!」
「………。」
「キャプテン!」
「………よし…。……分かった。」
荻原の目から熱いものが流れ出した。
←男・荻原男泣キノ図
「な…なんだぁ…?」
ギョッとする美咲。そう思うよりも早く荻原が美咲の肩をつかんだ。
「霧野!お前の気持ちは痛いほど分かった!!これだけの力がありながら力を発揮する機会が得られなかったのはさぞかし無念だったろう!!だが、安心しろ!お前の入部を認めるぞ!!みんなも異存はないな!今、オレはモーレツに感動しているんだあああああああああああ!!」
荻原はどうやら超が付く感動屋のようだった。こう言われて美咲も悪い気はしなかったが、これはものすごく恥ずかしかった。
ともあれ、美咲入部。彼女は5年ぶりに夢に向かって再び歩き始めたのだ。