seen1 二人の天才児
「みっちゃん、将来何になりたいの?」
「もちろんプロ野球選手さ!晃司は?」
「僕もプロ野球選手になりたい。でも、どうすればプロになれるんだろう。」
「こーしえんってとこで、優勝すればなれるんだって。」
「そうなんだ。じゃあ、一緒にこーしえんに出て優勝しようよ!」
「おう!で、一緒にプロの選手になるんだ!!」
二人は、その後リトルリーグに進み、見事優勝を勝ち取った。
「やったよ、みっちゃん!優勝だよ!!」
キャッチャーの晃司がウイニングボールを持ってマウンドに駆け寄る。
「あのバッテリーは最高だな。特にピッチャーの霧野、あんないい球を投げる小学生はそうお目にかかれんぞ。」
周囲の評価も抜群だった。
「すごいね、みっちゃん。球を受けててぜんぜん打たれる気がしないもん。」
「まあね。でも、オレ達の目標はもっと先さ。甲子園に出て、そこで優勝するんだ。」
「そうだね、僕らの目標はプロだもんね。」
ふたりの夢は果てしなく広がった。そして、その夢を実現するだけの力を持っているように思われた。
希代の天才ピッチャー霧野、そしてそれを支える天才キャッチャー沖田。
二人は、この後同じ中学、同じ高校に進み、そして甲子園優勝を掴み取る。
少なくとも、この時点で二人はそう信じて疑わなかった。
そして、月日が流れた。
「ねえねえ、甲子園見た?すごかったよね、沖田君!!」
ここは、県立美羽高校。一人のミーハー風の女の子が大騒ぎして教室に入ってきた。
「うん、見たよ!辻間東高校の沖田君でしょ。カッコ良かったよね−!」
「1年生なのにレギュラーで、それも2打席連続ホームラン!試合は負けちゃったけどね。」
辻間東高校はこの美羽高校から自転車で10分かかるかかからないかの近所の学校で、野球の名門校である。そこに昨年、中学の頃からマスコミにもにわかに注目されていた天才スラッガーが入学した。それが彼女らが話していた沖田晃司である。
彼は一年目から噂以上の実力を発揮し、レギュラーに定着した。彼の本職である捕手は、他の先輩に譲ったが、その強肩を買われ外野手として出場し、甲子園まで勝ち進んだ。そして、甲子園の1回戦で彼は2打席連続ホームランという離れ業をやってのけたのである。
あいにく、甲子園から久しく遠のいていた辻間東は、甲子園の独特の雰囲気に飲まれ勝利を意識した9回に試合をひっくり返され、健闘虚しく涙をのんだ。しかし、この春の大会で敗れはしたものの、沖田はまだ2年生になるばかりである。
彼は、また甲子園に出場し、いずれ優勝を果たすだろうと言われている。その活躍振りは他校の女生徒からも憧れの的なのであった。
「沖田君ってさあ、実力だけじゃなくて、顔もイケてるもんねー。」
「あたし、沖田君のためなら何だってするわ!!」
「無理無理。沖田君があんたなんか相手するわけないじゃん。」
「何ですって〜〜〜!!」
「あははは!明美が怒った!!」
「ねえ、ところで美咲はまだ来てないの?」
「え〜、おかしいなあ。朝ゲタ箱で見たのに。」
そこに担任の教師がやってきた。
「ほらほらみんな、席につけー。」
生徒たちは教師に促されて、しぶしぶ自分の席についた。
「今日は転校生を紹介する。」
電車がけたたましい音を立てて、鉄橋を通過する。その下の河原にチーマー風の男子生徒が三人たむろしていた。いずれも美羽高校の制服を身にまとっている。
「神田さん、来ないっスねぇ。」
三人のうちの一人が、茶髪の大柄な男子生徒に声をかけた。
「神田さんに恐れをなして逃げ出したとか。」
もう一人の男が言った。決闘の待ち合わせをしているのだろうか。
神田はこの界隈では、かなり名が知られている。とにかくケンカが強く、男子生徒数人に囲まれたときも、あっという間に全員を半殺しにしてしまったとか。体も大きくケンカで負ける姿などとても想像できそうにない。
しかし、そんな彼の口から意外な言葉が出てきた。
「オレに恐れを?そんなバカな。オレはヤツにかれこれ9連敗してるんだぞ。」
「神田さん、10連敗です。」
「うるせえ!そんなコトどうでもいい!!とにかく今日という今日こそ勝つ!!」
「神田さん!来ました、ヤツが来ましたよ!!」
「おう、来たか!今日こそ引導渡してやる!!」
神田は前方に視線を移した。
向こうから確かに人影が見える。しかしその姿は男性ではない、女性である。
服装は、美羽高校の制服を来ている。しかし、そのスカートはやたら長く、一昔前の不良女子生徒のような感じ、つまりスケ番風であった。女性にしては、かなり背が高い。身長は175センチぐらいだろうか。艶やかな髪が腰のあたりまで伸びていて、顔つきはややきつめだがかなりの美人だ。
彼女は明らかに不機嫌そうな顔をしていた。
「来たな、美咲。今日こそはオレが勝つぜ。そしてオレが勝ったら。」
神田はひと呼吸おいて、少女に言った。
「オレの女になれ。いいな。」
美咲と呼ばれた少女は、いかにもつまらなそうな顔でそれを聞いている。
そして、面倒くさそうにこう返した。
「てめえは一体何回オレに負ければ気が済むんだ。」
「ぐっ…!い…今までのオレだと思うなよ!!今日は新必殺技をあみ出してきたんだ!!」
そう叫ぶや否や、神田は美咲に向かって猛然と襲いかかった。
「必殺技?何だそりゃ。」
美咲は完全にあきれている。
「おらああ!くらえ!スーパーワンダフルデリシャス雷神拳!!!」
超・素晴らしい・美味しい・雷神拳………何の事やらさっぱり分からない。
しかし、その単なる正拳突きは、確実に美咲の顔に接近していた。そして入った!と思ったその瞬間、神田の右腕は高く宙に弾き飛ばされた。
美咲が神田の腕を蹴り上げたのだ。神田がその何たらという必殺技をいとも簡単に破られた事に気づいたその瞬間、美咲の高く蹴り上げた踵が彼の顔面に降ってきた。
「無駄な時間を使わせやがって。せっかく今日は早起きできたのに、これでまた遅刻じゃねーか。」
悪態をついて、学校に向かって走り去る美咲。
「だったら来なけりゃいいのに……なあ?」
「ああ、そうだよなあ。神田さん?大丈夫スか?」
「く…これで10連敗か………。」
「いえ、11です。」
担任教師に促されて、一人の男子生徒が教室に入ってきた。
「あの…立花明彦といいます…。みなさんよろしくお願いします。」
少しおどおどした口調である。体はやや小柄、他にはそんなに目立つ特徴はない。人の良さそうな顔はしているが、見方を変えればなんとなくいじめられやすそうな雰囲気だ。ただ、細身ながらその安定した体つきは何かしらのスポーツをやっていたであろうことを物語っていた。
「じゃあ、一番廊下側の列の後ろの席に座ってくれ。」
「はい。」
明彦は、言われたようにその席に座った。そして、すぐ隣の空席に目をやった。
(となりの人はいないのか。欠席かなあ?)
やはり、転校して最初に気になるのはとなりの席がどんな人かである。それがいきなり肩透かしにあってしまったので、明彦としては拍子抜けであった。
そして、1限目が始まった。
カラカラカラ………。
明彦は横の戸がこっそり開こうとしているのに気づいた。
そっちを見ると、一人の女生徒がしゃがみながら教室に入ろうとしていた。
先ほど、大立ち回りを繰り広げたあの少女である。
彼女は明彦と目が合うと、まるで巻き戻しをするかのようにそのままの体勢で後退し、また静かに戸を閉めた。
「な…なんだったんだ、今のは?」
明彦は首を傾げた。
「あれえ!?教室間違ってねえよなあ?あ、そうか!教室移動か!!」
すっとんきょうな声が外から聞こえる。さっきの奇怪な女生徒の声だろう。その声を聞いたとたん、教室中が笑いのうずに包まれ、教師が怒って廊下に飛び出した。
「こらあ、霧野!!まぁた、遅刻か!!」
「うわあ!?古だぬき!!」
「誰が古だぬきだ!!」
またも教室中が爆笑に包まれた。
「早く教室に入れ!まったく…。遅刻せんで来れんのか!?」
「今日は、ちゃんと早起きしたんだよ!」
「じゃあ何で遅刻したんだ。」
「う…。」
ケンカしたなど言えるわけがない。そんなこと言って、停学でもくらおうものなら、出席が危うくなる。
「か…川でおぼれていた子犬を助けて…。」
「その割には濡れとらんな。」
「着替えてきたんだよ。」
「お前、今月これで何匹子犬を助けた?」
そこでまたみんなが笑った。
「誰だお前。」
美咲はいかにもお前のせいで遅刻がばれたと言いたげに、ムスッとしている。
「あ…、僕、立花明彦。今日からこっちに転校してきたんだ。よろしくね、霧野さん。」
「ふーん。」
明彦は言葉を失ってしまった。てっきり、美咲がどこから来たのかとか、どんな事情があって来たのかとかいろいろ聞いてくるものだと思ったからだ。「ふーん。」の一言で片付けられるとは思ってもみなかった。
ただ、逆に少しホッともしていた。実はこの明彦、極端な暴力恐怖症で、ガラの悪そうな人は苦手だった。美咲は先ほどにも紹介したようにスケ番ルックである。むしろからまれなくて良かったという気持ちもあったのだ。
美咲はそれ以上明彦に関心を持つ風でもなく、授業中にもかかわらず居眠りを始めた。さっき遅刻で起こられたばかりなのに…明彦は驚きを通り越してあきれてしまった。
昼休み、明彦はさっそく友達になったらしい男子生徒と部活について話していた。
「立花君は、何か部に入るのかい?」
「うん、野球部に入ろうと思ってるんだ。」
にわかに、その男子生徒は顔をしかめた。
どうしたの?と明彦が聞こうとするより早く、横の席から美咲が口を挟んできた。
「やめときな。」
静かだが、反論を許さない鋭い口調。
「…なんで?」
恐る恐る聞き返す。
「あんな部に入るなんて時間の無駄だぜ。」
男子生徒も美咲に話を合わせる。
「うん、霧野の言うとおりだ。ウチの野球部は弱いどころか、人数すら足らない。だから、練習試合すら組めないんだよ。」
「ええ!?そ…そうなの!?」
「うん、それよりサッカー部に入りなよ。キミ結構足腰しっかりしてそうだしさ。」
明彦は絶望していた。そのあとの友達の言葉は明彦の耳に入っていなかった。
「そんなぁ……。」
美咲は関係ないと言わんばかりに、また居眠りを始めてしまった。