戦国質問箱 | |
4.川中島の合戦はどっちが勝った? |
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上杉謙信と武田信玄、二人の名将を語るに欠かせない最大のイベントは、第4回川中島の合戦です。果たしてこの戦いはどちらが勝ったといえるのでしょうか。引き分けとする説が最有力ですが、もし白黒をここではっきりつけるとしたらどうなのか。もんちっちの考えをここで述べる事にします。まあ、もんちっちも引き分けと認識しているのですが、どちらが勝ちかを決めなければならないとしたらこう思います。 第4回川中島の合戦の勝利者は、武田信玄さん、あなたです!謙信ファンの人、物を投げないで下さい(焦)!!こう思う根拠をこれから説明します。 まず初めに、両者の川中島の合戦についての目的を挙げます。謙信は、村上義清ら北信濃の諸豪族の領地を信玄から奪回し、彼らを故郷に帰還させる事にあります。一方の信玄は、謙信の侵略から領土を防衛し、そこに自分の支配を根付かせることにあります。 この合戦の結果、戦闘終了後に両軍が勝どきを上げました。どちらも自分たちが勝ったと宣言しているのです。もんちっちもこの時点では引き分け、もしくは上杉軍の6分勝ちと言っていいと思います。では、なぜ信玄の勝ちだと思うのか。それは論功行賞の差です。 謙信は、この戦いで活躍した武将たちに、感状を与えました。いわゆる血染めの感状といわれるものです。別にこの感状は血まみれである訳でなく、たくさんの血を流した先の合戦の感状ということでこう呼ばれているのです。謙信はこれだけでした。しかし、信玄は部下に川中島の土地を褒美として与えたのです。この時点で、中立地域になっていた川中島が武田家の領土に再度組み込まれた事になります。つまり、この時点で信玄の目的「川中島の防衛」が達成された事になるのです。謙信は目標達成をしていないので、この戦いは信玄の勝ちだと言えると思います。 しかし、実際の戦いの内容は、おそらく武田家ファンの人も勝ったとは言いづらいのではないでしょうか。確かに最終的に上杉軍は撤退していくので形の上では勝ったと言えるかもしれません。しかし、その損害は大変なものです。上杉軍に主だった武将の被害は出ていませんが、武田軍は、信玄の弟・武田信繁、軍師・山本勘助(架空人物説あり)、諸角豊後守などの歴戦の勇将、いや信玄にとっては片腕とも言える人達を次々と失いました。この人的被害は信玄にとって大変こたえた事でしょう。信玄自身も2箇所に傷を負いました。自軍の本陣に敵兵の侵入を許した時点でこの戦いはその軍はほぼ壊滅状態である事になります。 戦術的に見ても、信玄のきつつき戦法を見破って、裏を書いて信玄を攻撃した謙信の手腕を評価しない訳にはいきません。持久戦が得意なはずの信玄が、痺れを切らして謙信におびき出された事も含めると采配、知恵比べ、部下の統制すべての面で謙信の大勝利と言えます。戦術面においては、さすがに信玄は何も言い返す事は出来ないでしょう。 結論としては、この戦いの勝利者は信玄ですが、受けたダメージは負けた謙信よりもはるかに大きいと言えます。信玄はこの戦いの後南方へ攻撃方針を転換します。つまり、信玄はもう謙信とは戦いたくなかった訳です。そう信玄に思わせたと言う事で、謙信は戦には負けたが勝負では勝ったと言えるのではないでしょうか。 もんちっちの結論としては、形式上は信玄の勝ち、本質的には謙信の勝ちという事です。 |