戦国質問箱 | |
6.謙信の隠遁劇の真意は? | |
上杉謙信の隠遁騒動という事件がありました。第二回川中島の合戦は大変な持久戦となりました。川中島の合戦というと大規模な白兵戦を想像される方が多いとは思いますが、大激戦となったのは第四回ぐらいです。謙信は信玄を討ち取るのが目的ですが、信玄としては国を守るのが目的なので、勇猛でなる謙信と正面からぶつかる気はさらさらなく、なるべく戦いを避けようとしたため、持久戦で睨み合うことがほとんどだったのです。 特に第二回の川中島の合戦は長期戦となり、武田、長尾の両軍は膠着状態のまま身動きが取れなくなり、両軍とも士気が低下して戦える状態ではないほどでした。当時の兵は農民と掛け持ちでしたので(武田軍はいくらか専門の戦闘兵を編成していたが)、戦いが長引くと故郷に帰って田畑からの収穫を望む声が強くなったのです。 結局、この戦いは先に根負けした信玄が盟友の今川義元に仲裁を頼み込み、謙信にとってやや有利な条件で講和しました。 国に帰った謙信ですが、この戦いがきっかけで家臣団の間でいざこざが起きやすくなります。中でも決定的だったのが、上野家成と下平修理による領地争いです。お互いが先祖代々受け継いだ土地であると主張し小規模な紛争も起こっていました。そこに大熊朝秀や本庄慶秀などの有力家臣達が、それぞれに加勢したために家臣団が真っ二つになってしまいました。 もともと謙信はそう病・うつ病の気があり、この事件は川中島の合戦で疲れきった謙信がうつ病に襲われていたころに発生したため、謙信は政治に嫌気が差してしまったということです。この争いを調停した謙信でしたが、やや上野よりの裁定だったため下平とそれに加勢していた大熊が不満を洩らしました。潔癖症の謙信としてはわずかな土地になぜこれだけ執着するのか分からず、人間そのものを非常に醜いものと思うようになり俗世を捨てて出家しようと決意します。 行動力に関しては折り紙突きの謙信ですから、自分の師である天室光育宛の手紙を残してさっさと僧侶となるべく出発してしまいました。謙信がいなくなったら、越後は大変な危険にさらされます。家臣団は大慌てになりました。この事件は手紙を読んだ天室光育が家臣団のリーダーである長尾政景に謙信を連れ戻させる事で解決します。 この事件は実は謙信の謀りごとだったのではないかという意見もあります。謙信は政景に帰国する条件として二度と揉め事を起こさないという内容の誓約書を家臣団全員に提出させるよう命じました。この結果、長尾家家臣団は今まで以上に団結したのです。謙信はこれを狙ってわざと出家しようとしたのだという主張です。 でも個人的にはこの説は反対です。謙信の性格的にそこまで計算するとは思えません。もともと謀りごとが大嫌いな人ですから。誰か賢い家臣の策であるとも考えられますが、策にしてはリスクが大きすぎます。この当時武田信玄は長尾家の家臣を味方に付けようと間者をたくさん放っていました。実際、このドサクサの隙を突いて大熊朝秀が裏切りました。謙信にとってあまり利益がある策とは考えられません。 また、この謙信不在の時期に信玄が北信濃を攻撃して、せっかく第二回川中島の合戦で取り返した豪族達の領土をまたしても奪われてしまいました。自分がいなくなったらこうなる事ぐらい謙信が分からないはずがありません。さらに、天室光育に宛てた手紙の中には長尾政景を中心として合議制を採るように指示するなど、自分がいなくても国を運営できるようなシステムまで書かれています。政景もグルだったと考えれば済む事かもしれませんが、以降の章でも触れますが、政景は謙信にとって安全な男ではありません。この計略を行なって政景が裏切ったら謙信は国に帰れなくなります。 これらの考えから、謙信は心の底から出家したかったのだと思います。 |