戦国質問箱

5.川中島の一騎討ちは本当にあったのか。

 第4回川中島の合戦で、きつつき戦法を看破した謙信が武田信玄の本陣に突撃したというのは事実ですが、その中で謙信自らが信玄の本陣に突っ込んでいって信玄と本当に一騎討ちを行なったのでしょうか。大将同士の一騎討ちがこの戦国時代で本当に行なわれたのかどうかそれについて話したいと思います。

 もう先に結論を言っちゃいます。嘘です!嘘っていう説の方が有力になってます!

 でも、武田信玄は二ヵ所ケガをしたと伝えられています。ということは攻撃を食らったという事は事実らしいです。つまり、謙信が突っ込んだ訳ではなかったという事です。

 この一騎討ちについての記述は、武田側の軍記物語「甲陽軍鑑」に記載されています。これには謙信が信玄に斬りかかったとされていますが、実際のところは謙信の旗本に荒川伊豆守という人がいて、その人物が斬りかかったそうです。名前が分かってるぐらいだからまず事実でしょう。

 では、なぜ武田方はこの事実を闇に葬り去って、謙信との一騎討ちとしたのでしょうか。理由はこうです。敵の、それも一介の旗本が自軍の本陣にまで斬りかかって来ると言う事はその戦いは負け戦であるという事を世間に知らしめるようなものです。それだけ押されているという事の証明になります。これではまずい、我々が謙信にいい様にやられて挙句の果て自分たちの大将が敵の一旗本ごときにケガを負わされたという事を後世に伝え残す事になります。だったら、いっそのこと本陣に突っ込んできたのは相手の大将の謙信という事にしてしまえば、相手も大将自ら突撃しなければならないほど切羽詰っていたのだという言い訳が出来る訳です。

 荒川伊豆守が実際にどうなったかというと、信玄に斬りかかったまでは良かったのですが、武田兵に囲まれて討ち死にしたそうです。

 逆の考えでこの一騎討ちを否定する説もあります。信玄にはたくさんの影武者がいました。あそこで斬りつけられた信玄は影武者であるとする説です。弟・信繁が戦死するほどの戦ですから、信玄本人がケガをしたとしても何らおかしくはありませんが、この説も説得力はあります。何しろ用心深い信玄ですからね。

 他にも両方影武者だったという説もありますが、やっぱり両方本物の方がロマンがあっていいですね。銅像も立ってるくらいなんだから今さら嘘でしたはないよね。可能性がない訳じゃないんだし。

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