戦国質問箱

12.願文に見る謙信と信玄の性格の差異

 願文というのは要するに神様に対して願い事を書いた手紙です。

 戦国時代の武将達は、命をかけた戦いを繰り返し、国や家族を守っていくわけですから、自分の力をはるかに超えた大きな存在を心の拠り所とするわけです。

 特にそんな当時の武将達の中でも、武田信玄、上杉謙信といったところは非常に宗教性の強い武将であると言えます。特に謙信のは異常とも思われるぐらい信仰が強いです。これは謙信の育ってきた環境の影響も強いわけですが。

 信玄も謙信も最終的には出家して僧になります。いかに神様という存在が大きかったかがうかがえます。

 さて、願文の話に戻りますが、もちろん武将達が一番強く神様に願う事といえば必勝祈願でしょう。

 信玄も謙信も川中島で戦うにあたって、自軍の勝利を願った願文を捧げています。

 しかしこの願文、願い事の内容は同じなのですが、お願いの仕方が全然違うのです。ここに信玄と謙信の性格の違いが表れていてなかなか興味深いものがあります。

 信玄の場合の願文の書き方は大体こんな感じです。

 まず、自分が神様のために何をしてきたか(寺社の修復など)をアピールして、さらに、次の戦いで勝たせてくれれば今度は何々をします・・・・・・という内容です。

 対して、謙信の書き方はこうです。

 「どこどこに○○という人物が居ます。その人物はこんな悪い事をしています。私は正義のために○○を討ちます。どうか力をお貸し下さい。」

 書き方が全然違いますよね。

 信玄の場合は、なぜ戦うのか、なんのために戦うのかという事は語りません。ただ、誰々との戦いの時に力を貸してくれれば、その引き換えに何々をします・・・と、神様に対して取引する形式、つまり契約を交わすやり方です。

 謙信の場合は、もちろんお礼などもするわけですが、それについては触れず、自分の正当性を訴えて、正義のために力を貸してほしいという、懇願形式の書き方をしています。

 信玄はリアリストなので、つまり見返りを出す事で願いを叶えてもらおうと考える訳です。

 かたや、ロマンチストの謙信はそもそも孟子の「性善説」に強い傾倒を示しており、「正義は必ず勝つ」と信じているので、自分こそが正義だと主張するわけです。自分の方が正しいから、自分に力を貸してほしいと書くわけです。

 

 謙信の場合、神様と対話するような感じですね。謙信にとって神様は人間をはるかに超えた存在であると同時に、尊敬する師でもあるのかもしれません。

 謙信は必勝祈願の他にも、いろいろな近況報告のようなものを神様に奉納しています。

 例えば、「武田晴信悪行之事」というのは、「武田晴信(信玄)は、父・信虎を駿河に追放し乞食の様にしている」とか、「信濃の罪もない諸豪族の土地を奪い苦しめている、その人達は自分が保護している」といった、謙信のものさしで見た信玄の悪事を書き連ねています。

 要するに信玄が悪いヤツだと訴えているわけですね。

 他には、自分の反省のようなものも納めています。謙信は癇癪持ちだったので、時々ムシャクシャして一気に怒りをそこらじゅうにぶちまける悪い癖がありました。謙信本人もこれを非常に気にしており、「短気を直して健気に生きていきます。」と神様に誓う内容の願文を納めています。

 あの猛将・上杉謙信がこういった願文を書いていると思うと微笑ましくなってきませんか?

 僕は、謙信の願文の方が人間味がにじみ出ていて好感が持てます。

 ちなみに僕が神頼みする時は、自分自身の事を願う時は信玄型(今度○○するから願いを叶えて下さい)、他人の幸せを願う時は謙信型(あの人はこれだけ頑張ってるんだから願いを叶えてあげて下さい)でお願いしてますな。

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