戦国質問箱 | |
14.謙信はなぜ妻帯しなかったのか。 |
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謙信は生涯独身で通しました。 正室とたくさんの側室を持ち、子供をたくさんもうけて家が絶えないようにするのが普通です。 お家騒動を恐れての事なら、正室だけを持てば良いことだし、そもそも長尾顕景(のちの上杉景勝)、北条氏秀(のちの上杉景虎)、畠山政繁(のちの上条政繁)など複数養子をとった謙信には当てはまりません。 では、謙信が妻を娶らなかった理由は何なのか。説としてはこれらが挙げられます。
1、謙信が実は女性だったとする説 2、男色説 3、不能説 4、妻は居ないまでも恋人が居たとする説 5、必勝祈願説
女性説については第1章ですでに述べているので省略します。 なので、ここでは2の男色説、3の不能説から見ていきましょう。 とある研究家はこの両説は後世の誰かが謙信の神性をやっかんで、その功績に傷を付けようとして唱えた妄説にすぎないとまで言い切っており、僕も謙信公を信奉する身として同じ思いですが、ただ頭ごなしに「違う」と否定するのはその意見を述べた人への失礼に当たるので自分なりに検証してみます。 男色説についてですが、確かに当時は同性愛は普通にありました。それは同性であろうと異性であろうと性の対象になるということです。この説はそうではなく、「謙信は同性のみ」だったとするものであります。 確かに史料によっては謙信は上京したときに関白の近衛前嗣に若衆屋(まあ現在のホストクラブのようなものですかねぇ)に連れていかれたような事が書いてあるものもあります。 また、不能説というのは要するに性交渉ができない、あるいは性交しても子どもが出来ない身体だったということです。 ですが、この男色説、不能説については「子どもが出来なかった理由」と考えることは出来ても、「妻帯しなかった理由」、「独身で通した理由」にはなり得ないと思います。 仮に男色家だったとしても、あるいは性的不能者だったとしても結婚ぐらいはできるからです。 まして、本当に謙信が男色一本だったら家臣達が世継ぎの事を心配し、異性にも目を向けさせようと図って結婚相手の女性を勧めることもあると思うのです。 また、仮に謙信が男色家だったとしても、不能だったとしても形式上のみの結婚なら突っぱねる理由は無いので受け入れても良いはずです。 しかし、実際は謙信には妻が居ないということなので、家臣達がそうしなかったか、あるいは謙信が突っぱねたかということになります。 謙信が突っぱねたのだとすると、謙信は「性行為」を嫌ったのではなく「妻帯」を嫌ったわけであって、その理由として男色説・不能説では説得力に欠けると思われるわけです。結婚を形式上しておいて性的交渉をしなければ済む問題ですから。 とすると、謙信は性的交渉が理由ではなく、他の理由で妻を持たなかった事になります。 ここで「恋人が昔居て、その人と何らかの理由で結ばれることが出来ず一生涯その想い人一筋で生きたから結婚をしなかった」という実にロマンチックな説が出てきます。 実際にそういう人が謙信に居たのかどうかは我々に知るすべはありませんが、謙信と深いかかわりのあったとされる女性は3人ほど挙げられます。 一人は直江実綱の娘。一人は関白・近衛前嗣の妹・絶姫。一人は「松隣夜話」にある伊勢姫です。 直江実綱の娘は史料が見つからなかったので詳しいことは分かりませんが謙信と結ばれる事無く尼になったといいます。 絶姫については、謙信が初の上洛を果たしたとき、関白・近衛前嗣が謙信を大変気に入って妹である絶姫を謙信に嫁がせようと頻繁に引き合わせましたが、結局謙信は彼女に特別な関心を抱く事なくさっさと帰国してしまいました。その翌年、絶姫は若くしてこの世を去っています。 最後の伊勢姫に関しては、「松隣夜話」によると謙信と両想いになるものの柿崎景家が「敵将の娘を妻にするなどもってのほか」と二人の仲を引き裂いてしまうとあります。 ただ、冷静に見てみると伊勢姫は架空人物であり、あとの2人は謙信がその人の事を想って一生涯他の女性を近づけなかったとするほどの関係には思えません。 他の人物が浮上すればまた話は別ですが、現段階ではこの説を否定はしないまでも説得力が薄い気もします。 そして、通説とされているのが新井白石が主張した「必勝祈願説」です。 謙信は母・虎御前の影響を強く受け毘沙門天への信仰に帰依しました。 そしてその信仰の中で謙信は自国・越後を守ることを心に誓い、必勝を祈願したとあります。 謙信はこの時に一生女性を側に近づけないという僧侶の誓いを立て、そのかわり戦いにおける毘沙門天の加護をもとめたのであろうとするのがこの説です。 謙信の毘沙門天信仰の熱心さは特筆すべきものがあり、信仰と関係したならばその中で生涯不犯、また妻帯をしない事を誓ったとしても信憑性があります。 謙信の個人的な嗜好で生涯不犯を誓ったとする説と違い、必勝祈願による自国の繁栄、平和を願っての生涯不犯の誓いであれば、周囲も強く謙信の意向に逆らう事が出来なくなるので、より真実味が増すようにも思えます。 また、ほかに女嫌いだったとする説がありますが、謙信は合戦で滅ぼした大名家の女性達の身元の引き受けにも一際熱心であったこと、母や姉を大切にし、姪を可愛がっていたことなどを考えると女嫌いというのも当てはまらないように思います。
通説を推すのは芸がありませんが、自分なりの結論を出すとすれば、この件に関してはやはりこの説が一番正解に近いように思います。 あるいは、謙信が自分の生き方においてどこまでも高みを目指したように、相手の女性に関しても非常に理想が高く、ついにそういう女性に巡り会えなかったのかも知れません。 |