戦国質問箱 | |
11.謙信の死因は? |
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名将には付き物なんですが、謙信のようなビッグスターが病死という形でこの世を去ると、大体いろんな説が囁かれます。武田信玄にしても、アレクサンドロスにしても、聖徳太子にしてもそうです。 謙信も例外ではなく、一般的には脳卒中で死去と言われていますが、いろいろな説が出てくるわけです。 ざっと挙げて見ると、脳卒中のほか、死ぬタイミングがあまりにも信長にとって都合が良いため、信長の刺客に暗殺されたのだとする説、第1級歴史史料・当代記に「大虫」と書かれている事から、謙信は実は女性で、更年期障害から起こる婦人病で亡くなったのだとする説、謙信は卒中でなく腹痛で倒れたのだとして、胃ガンだったとする説、そのほか肝硬変、糖尿病などと言う意見もあります。 普通はたいてい脳卒中で片付けられます。景勝も中風で亡くなったと手紙に書いていますし、謙信は高血圧だったそうです。謙信は厠(トイレ)で倒れたと言いますが、当時の厠は建物の中でなく、やや建物の外のほうにありました。そのため暖は取られておらず非常に気温が低かったのです。高血圧症の謙信が酒を飲んで厠へ向かえば急激な温度差によって脳溢血を起こしてもおかしくはないわけです。 ただ他の説の根拠と個人的な意見も少し書いてみます。それによりどう皆さんが見解を持つかは自由だと思いますので。 まず暗殺説ですが、当時に流行った噂では、なんでも信長の刺客は便器の中に潜んでおり、槍で謙信の肛門を突いたとかいうコントのような事が言われています。いくら何でもこれはないでしょう。見りゃ分かるもん。それに他の武将だって気付くでしょう。 まあ、こんな方法でないにしても、信長が謙信の暗殺を計画するのは不思議ではありません。信長は特に謙信を恐れていましたし、当時は信長にとっては大変苦しい時でしたから。 しかし謙信の周りには軒猿忍群という優れた忍者部隊がいます。当時の忍群には、情報集め主体のものと、主に調略専門の武闘派がおり、軒猿は前者の部類に入ります。が、北条氏康がかの有名な風魔忍群をもって謙信の暗殺を何度も企んでも毎回撃退しています。信長の刺客に遅れをとるとは思えません。それに、この時謙信は絶頂期であり、特に謙信の警護は厳重だったはずです。 それに謙信が倒れたのが旧暦で3月9日、永眠したのは3月13日。これは必ずしも否定の根拠とはなりませんが、暗殺にしては日が空きすぎだと思うのです。 むしろ暗殺されたとするなら信玄の方だと思います。ドラマの様に即死と言う事はないでしょうが、笛の音を聞きにふらっと出てきたところを撃たれ、死期を早めたのは事実だと思うからです。ただ、この場合は厳密には暗殺とは言えないような気もしますが。 謙信にしても、信玄にしても暗殺説というのは、架空歴史小説作家が好む説ですね。でも超一流の武将は、それだけ身辺警護もしっかりしているので暗殺はまずあり得ないと思います。まして、信玄、謙信のように神格化されている武将ならなおさらです。 続いて大虫説。「大虫説」について、なにかの本で「これは妄説というより、誤説である。卒中を大中と書いてあるものを曲解しただけだ。」と書いてありましたが、「大中」ではありません、「大虫」です。当代記にもしっかり「大虫」とか書いてあります。「大中」なんて書いてません。誤説をしているのはその本の作者さんの方です。否定するなら、こんな幼稚な反論でなく、もっときちんとした根拠を出して理論的に否定しなければ女性説派の方に失礼ではないですか。 すいません、話が逸れました。この説については死因以前に女性説を証明する必要があるので、ここでは省かせていただきます。女性説については第1章をご覧下さい。女性説さえ証明されれば、この説が最有力候補だと思います。 腹痛説もあります。女性説派の人はこれと大虫をつなげて考えますが、ここでは他の病気という面に注目して考えます。胃癌、肝臓病、という所になりますか。謙信は非常に酒に強く、また大量に飲みました。これにより、糖尿病や高血圧など様々な病気が出ていたと言われます。腹痛説ならば肝臓病辺りが一番妥当ではないでしょうか。 僕は一応脳卒中でとらえてますが、肝臓病の可能性も大きいと見ています。 |