先ほどいた国は島津家が支配していたということは私はなぜか九州に居たようですね。
よって相模へ向かうべく東へ方向を変えました。
海を渡りましたが嵐に遭い、幸い九死に一生を得たもののどこだか全く分からない街にたどりつきました。
正直これほど大きな城下町は過去に見たことがありません。
雰囲気も今までの街とは随分違います。
ははあ、これがひょっとしたら堺かもしれませんね。
異国からも多くの方が来られるとのことなので異国情緒あふれる町並みをしていてもおかしくはありませぬ。
と思ったら何やら看板が・・・。
「南京」と書いてありました。←もちろん「南京(ナンキン)」である。
なんと。京都は南の方角にあるとの事。
つまりここは越前辺りだったのですね。に、しては妙に暑いですが・・・。
確か越前では義秋(義昭)様を倒してしまったので私は指名手配されていたはず。
とあれば長居は禁物。急いで南へ進むことに致しましょう。
ただ、私は方向音痴なので本当に南へ向かっているか心配になってきました。
南へ向かってるはずなのに、だんだん寒くなってきたのです。
ひょっとして越後へ向かっているかもしれません。
まあ、越後へ向かっているのなら、南下して相模を目指すまでですが・・・。
すると今度は「北京」の看板が見えてきました。←もちろん「北京(ペキン)」である。
北に京都がある。どうやら京都は通過してしまった模様です。たしかに距離がありましたものね。
妙に寒いですがおそらくここは伊勢あたりでしょう。後は東へ進むのみ。
ふふふ。氏康め。首を洗って待っているがいい。
ともかく今日はここらで休息しましょうか。
何やら街の人と言葉が通じないのが気になりますが、おそらく方言が酷いのでしょう。