「北斗の拳」の南斗聖拳最強の男・聖帝サウザー。

下はディフォルメしようと訳の分からん事企んだ結果パタリロみたいになってもーた。

このキャラといえば非常に読者の間で好き嫌いが分かれるらしいですな。

まあ、確かにやって来た行いそのものは許される事ではないんですが、キャラとしてはとても好きであります。



ちとサウザーについて駄弁りまくるぞ。



サウザーはみなしごだったが、オウガイに拾われ育てられた。

オウガイは南斗鳳凰拳の伝承者だったので、サウザーに鳳凰拳を伝授した。

血のつながりは無かったが、オウガイの愛情に育まれサウザーは幸せな日々を過ごしていた。

そしてサウザーが15歳になったある日、南斗鳳凰拳の伝承者としての最終試験を受ける事になる。

その試験内容とは、目隠ししたまま、これから襲い掛かってくる敵を倒す事。

サウザーはその試験を見事突破した。

「いつものようにお師さんに褒めてもらえる!」おそらく、サウザーはそんな事を考えながら目隠しを取ったであろう。

しかし、そんなサウザーの目に飛び込んできたのは、サウザーの拳によって虫の息になった師父オウガイであった。

南斗鳳凰拳は一子相伝だったため、新たな伝承者が誕生したら、先代は拳を封じるか死ぬかしかなかったのだ。

オウガイはサウザーの成長を見届け満ち足りた表情で眠るように息を引き取る。

しかし残されたサウザーは違った。

誰よりも愛していた尊敬する師匠を知らずとはいえ自分で殺してしまったのだ。

のちにケンシロウも語ったのだが「誰よりも愛が深かった」サウザーは、当然「誰よりも大きな心の傷」を負う事になる。

「こ、こんなに・・・こんなに悲しいのなら、苦しいのなら・・・愛などいらぬ!!」

人を愛するから、失った時こんなに苦しい思いをしなければならない。

人を愛してしまったばかりに、今自分はこんなに悲しい思いをしなければならないんだ!!

サウザーはそう考えてしまった。

そして、彼は愛を捨てた。



以降は、残虐非道、血も涙も無い悪の帝王になってしまう。

しかし、ぬぐいきれぬものがあったのであろう。

サウザーは聖帝十字稜建設と言う事業に着手する。

名目は自分が死んだ後入る墓となっているが、実際はオウガイのための墓であった。

サウザーは「これはおれの愛と情の墓でもあるのだ!」と言っている。

つまり、この墓を造ることがせめてものオウガイへの気持ちである。

そして、ここでオウガイを弔ったら、過去と完全に決別しようとしたのである。

聖帝研究会というサイトでも書かれていたのだけど、「心の拠り所」としての聖帝十字稜というのが正しいと思う。



結局サウザーはケンシロウに1度は勝ったが2度目で敗れた。

もし、サウザーがケンシロウに倒されずに統一を成し遂げたとしたら、果たして幸せになれただろうか。

おそらく、虚しいだけだろう。

サウザーはケンシロウに倒されたが、これが一番幸せな末路だったとワシは思っておる。

サウザーはケンシロウに

「愛や情は哀しみしか生まぬ。なのになぜ哀しみを背負おうとする、なぜ苦しみを背負おうとする。」と問い、

ケンシロウは「哀しみや苦しみばかりではない。お前もぬくもりを覚えているはずだ。」と答えた。

それを聞いてサウザーは子供のころ、オウガイが温かいぬくもりで包んでくれた日々を思い出した。

ここで、サウザーは自分の誤ちに気付く。

そして、オウガイの遺体にすがったままこの世を去った。

ワシはこのシーンでもう涙が止まらんかった。

人を感動させる事が出来る人は素晴らしいのでアル!



よく言われるのが、オウガイ先生は愛深きサウザー少年が自分の死後どうなるか、

自分がサウザーに殺されたら弟子が歪んでしまう事ぐらい考え付かなかったのか。と非難する声があるが、

ワシはこの意見には反対である。

ワシは、おそらくオウガイ先生はサウザーに自分の死を通して、「心に愛を刻んで欲しかった」のだと思う。

ケンシロウも、ラオウも哀しみを通じて、心に愛を刻み最強となった。

サウザーにもそれを期待したのだと思う。

しかし、サウザーの愛はあまりにも深すぎた。

しかも、その大きな愛はオウガイたった一人だけに注がれていたのである。

そして、そのオウガイを失った。それも自分の手で!

「もう二度とこんな苦しみは味わいたくない!!だったら、もう二度と誰も愛さない!!」

そう思うのも無理からぬ事である。

愛を否定し、結果的には愛から逃げてしまったサウザーだったが、誰がそれを責められるだろう。

サウザーはそれで変わってしまう。愛を恐れるようになってしまう。

人を愛する事を極端に恐れた結果、人に対して非常に残虐になった。

自分を帝王と称し、他人を見下すようになった。

同格に見なさなければ、同じ人間と思わなければ情など湧かないと思ったのかもしれない。

そもそも15歳といえば思春期の真っ只中である。人生で一番思い悩む時期である。

歪んで(グレたとも言うな)当然だったのかもしれない。うう、気の毒すぎて前が見えない。



非常に残念だったのは、もしこの時のサウザーに心から信頼できる友人が居たら、という事である。

なにしろ、世捨て人のような生活を送っていたオウガイに育てられたのである。

街に行ったことぐらいはあるだろうが、他人との付き合いがほとんど無かったであろう。

よって、サウザーの愛すべき対象はオウガイしか居なかったのが彼の悲劇だった。

おそらくシュウ達に出会ったのは、鳳凰拳を伝承した後の事であろうと思う。

もし、もっと早くサウザーを励まし、慰めてくれる友人あるいは恋人が居たら、

サウザーは哀しみに打ち勝てたかもしれない。いや打ち勝ったに違いない。

そしてその深い愛を大切に持ち続けたに違いない。

そうしたら、世紀末の世に一人の仁君が誕生していたかもしれなかったのだ。

しかし、サウザーはひとりぼっちだった。

たった一人で全て背負い込み、たった一人で思い悩み、たった一人で苦しんだ。

サウザーファンとしては非常に勿体無いというか残念というか・・・。





あと、サウザーは幼稚とよく言われる。

まあ、ワシもそう思う。

ただ、それ以上に純真だった。

純真すぎた。

純真だったが故に、悪になったら徹底してしまった。

最後に険が取れた子供のような顔をサウザーは見せるが、あれが本来の顔なのだろう。

あの表情に、サウザーの幼稚さと、あまりの純真さが表れていると思う。

というのが、ワシのサウザー像です。

すげえ反論が来そうな気がしてチビりそう。

人気漫画のレビューをするのは怖いわ。

退かぬ!媚びぬ省みぬ!!