seen28 本心
練習開始時刻前だが美咲と水淵は夏から取り組んでいる投球フォームの改良に余念が無かった。
「ステップが元に戻ってるぞ美咲。もっと前に出せ。」
「こうか?」
「もう出んか?」
「うーん・・・。こうか?」
「そうだ。せめてそれぐらいは前に出せ。フォームが崩れる限界まで出すんだ。」
取り組んでいる新フォームは投球のときの前足のステップをさらに前に出して勢いをつけるとともに、ボールを長く持つことで相手に球の出所を分かりにくくし、かつ球威をプラスするというもの。
「よし。ステップはそれでいい。その状態のまま、投げるときに右腕を後ろにもっと引いてみろ。」
利き腕と逆の右腕を投げる瞬間に思い切り引くことでさらに体全体で投げることが出来る。結果としては球威、球速アップにつながるのだ。
BL戦で自然にこの形が出来てきたため威力のある球が投げられ、ハリケーン打線を抑えられたのである。
自然にこれが出来たというのは美咲の才能の証明でもあるが、意識的にこのフォームを身につけさせるのが水淵の狙いだ。
夏からずっと取り組んできているだけに多少形になってきたが、まだまだバランスが悪い。
「まだ下半身の力不足だな。オフシーズンはしっかり走らせるぞ。」
そんなやり取りをしているところに校長がやってきた。
「おお、やっとるかね、美咲君、水淵君。」
「あ、校長先生。どうも。」
水淵がお辞儀する。
「他でもない。今日は頑張ってる野球部のみんなのためにプレゼントを用意したのだよ。」
「プレゼント?」
すると神田達が新品のバッティングマシンを3台運んできた。
「バッティングマシンじゃん!!」
「その通り。今まで野球部には満足な設備が無かったからの。これでガンガン練習してくれたまえ。」
このバッティングマシン、職員会議で校長がゴリ押しして学校の予算で買ったものであった。
「サンキュー、校長先生。やっぱ頼りになるぜ。」
思わぬ援助に美咲も喜色満面だ。
「そ、そこでじゃな。美咲君に頼みがあるんじゃが。」
「ん?」
「サインをしてくれんかの?」
「ああ、お安い御用だぜ。」
校長からサイン色紙を受け取りスラスラとサインを書き始める。
「最後に『校長先生へ』と書いてくれたまえ。」
「注文多いなあ。」
「それからハートマークも付けてね。」
「……………。」
美咲はどくろマークを付けた。
「あっ…、あんまりじゃよ〜〜〜っ!!」
「あっはっはっはっは!さあ、練習始めっぞ!さあ、校長先生、出てった出てった!」
校長は名残惜しそうにサイン色紙を大切に抱えて校舎へ戻っていった。
「ん?四郎(宮本)の姿が見えねえな。」
服部はギクッとした。
「おい、功一(服部)。四郎はどうしたか知らねえか?」
「いや…!その、四郎は…!!そう!腹が痛いって言って今日は帰った、うん!」
服部の慌てぶりを見て美咲は一目ですべて悟った。
「チッ…。逃げやがったか。」
「ええっ!?」
美咲の言葉に今度は明彦が驚いた。
「いや、別に逃げたわけじゃ…。」
「功一、お前嘘をつく時しきりに腕を振る癖がある。」
「はっ!?」
服部は自分でも自覚していなかった癖を指摘されて観念した。
「本当のこと言いな。」
「あ…、ああ…。その…、昨日四郎から電話があってさ…。もう美咲には付いていけないって……。」
明彦がもっとも恐れていたことが起こってしまった。
服部は美咲が怒り出すんじゃないかと心配していたが、
「そっか。」
と一言つぶやいたのみだった。
むしろ神田の方が怒り出して、こちらをいさめるのに苦労させられた。
「ふざけやがって、あの根性なし!待ってろ美咲!オレが今からあいつの家に乗り込んで引きずってでも連れてくるぜ!!」
「やめとけ。逃げたヤツにそんな事したって一緒だ。」
そして美咲はニヤリと悪魔の笑みを浮かべた。
「四郎がいねえということはだ。功一ィ、その分お前たっぷり練習できるなぁ……、クックックック。」↑悪魔の笑み
「ぎょ……!ぎょえええええ〜〜〜〜っ!!」
「さあー!んじゃ、準備運動始めるぞ。間隔取れ!」
準備運動をしながら刈谷が明彦に声をかけた。
「大したもんだな。」
「え、何が?」
明彦が聞き返す。
「美咲のことさ。まったく動じていない。ただでも人数が足らないこの時期に脱落者が出たというのに平然としている。思ったより頼りになるじゃないか。」
刈谷は美咲の毅然とした態度を誉めているようだった。
しかし明彦の思いは違った。
(平然としてる?そんな事ない!)
服部から宮本が逃げたと聞いたとき、一瞬だが美咲が酷く寂しそうな…、悲しそうな顔をしたのを明彦は見逃していなかった。
(あれが美咲さんの本心だ……。)
美咲は昨日あれほど嬉しそうに二人のことを誉めていた。それを言った側から期待を裏切られてしまったのだ。 間違いなく美咲がここに居る誰よりも悔しいはずである。
そして明彦は昨日美咲が言っていたことを思い出した。
――オレは憎まれ役に徹する。
――その分お前がやさしく接してやってくれ。
(今度は僕の番だ!!)
明彦は強く決意した。
「よし、今日はこれまでだな。」
水淵が練習を締めくくる。
「いや〜、マシンが来てくれて助かったよ。神田に投げてて肩が張ってきてたからな。」
マシンのおかげで水淵は神田のバッティングピッチャーをしなくても良くなったのである。
「んじゃ、居残り練習始めるぞ。」
「ま、待った!美咲!ホントにオレいつもの2倍やるのか!?」
すがるような服部に対し、非情にも美咲が向けたのはまたしても悪魔の笑み。
「あたりめーじゃん。オレはやるといったらやるの。」
「ガーン!」
「時間があるんだから使わないと勿体無いよな。」
「休む時間に当ててくれ〜。」
そして美咲は本当に2倍コースでノックした。
さすがに息をつく間がないので服部の動きも鈍ってきた。
そのときグラウンドの外から罵声が飛んできた。
「ポロリーン!服部選手またしてもエラーです!」
「バーカ、何やってんだ下手くそー!!」
「足がついてってねーぞコラァ!」
「服部ー、お前なんかじゃ絶対無理!!下手すぎ!!」
「ぎゃははは!お前本当の事言ってやんなって!」
そこには補講を終えて下校しようとしているチーマー風の3年生達の姿があった。
「ムッカー!なんですの!あの下劣な輩は!」
さすがに麗羅もカチンと来た。
「ああ、あいつら、功一がオレの舎弟になるまで功一をパシリに使ってた奴らだよ。」
「俊也様!あんな事言わせておいていいんですの!?」
「うーん…。ぶん殴ってやりたいのは山々なんだが、下手に問題起こすと出場停止もあり得るからなぁ……。」
神田が困った顔をした。
「それがあいつらの狙いなんだろう。」
刈谷も不愉快そうな顔をしている。
さらに美咲のノックした球を服部が弾くと、
「ひゃははははは!そんなのも捕れねえのかよ下手くそ〜!!」
「宮本も逃げ出したんだろ!お前もケツまくったらどうだ!!」
「あ、悪ぃ。お前は逃げそこねたんだな。はははは。」
服部は屈辱を必死で耐えている。悔しさと情けなさで涙が浮かんできた。
「服部君、あんなの気にする事ないよ!」
明彦が励ますが、3年生達の罵声はとどまる所を知らなかった。
(もう我慢の限界だぜ…!!先のことなんて知ったことか!)
我慢しきれなくなった神田が叫ぼうとしたその瞬間、美咲の怒声がグラウンド中に響いた。
「こっち来い、てめえら!!」
美咲の剣幕に3年生達は気圧された。当然罵声は止んだ。
「な…、なんだぁ……?」
「こっち来いっつってんだろ。」
今度は低く凄みを利かせた声で言った。
「………………。」
「来い!!」
「お…、おい…。」
「どうする……。」
うろたえる3年生たち。
「早くしろ!走って来い!!」
ついに美咲の迫力に負けて行きたくもないのに美咲の所に走っていった。
ノックバットをもった美咲の前に3人の3年生が並ぶ。
まるで蛇ににらまれた蛙のようだった。
しばらくして美咲が口を開いた。
「なにがおかしいんだ。」
「………。」
面倒な事になったと3人は顔を曇らせた。
「聞いてんだろが。答えろ。」
美咲の圧迫に耐えかねて一人が逆切れした。
「あー!?それが上級生に対する態度かコラ!ちょっと有名になったからって調子に乗ってんじゃねーぞ!!」
「そうだ!オレらに手ェ出したらどうなるか分かってんだろな!!」
他の二人もそれに続いて美咲を罵倒する。
「うるせぇ、このタコども!!」
美咲の一喝にまたしても3人は黙らされた。
「上級生もクソもあるか!オレはいま野球部主将として話してんだ!」
さらに美咲はノックバットを担いで威圧的な態度をとる。
「それに、出場停止を恐れてオレが我慢すると本気で思ってんのか?おめでたいヤツらだな。」
美咲は少しもひるむ様子を見せない。
(お、おい!こう言えば絶対大丈夫ってお前言ってたじゃねーか!)
(バカ。ハッタリだよハッタリ。あれだけ苦労して掴んだ出場権が惜しくないはずねーだろ。)
一人が美咲を挑発した。
「へへ…。じゃあやってみろよ。その代わりお前ら出場停止だぞ。」
言い終わる前に美咲の蹴りがみぞおちに入った。
「ぐあっ!!」
蹴られた3年生が膝をついた。
「ああっ!!」
明彦は真っ青になった。
(な、なんて事を……!!)
「上等だよ。出場停止でも何でもすればいいじゃねーか。どうせ同じ出場停止させられるんなら、こっちも気の済むまでやらせてもらうだけの事さ。」
「み、美咲さん、まずいよ!」
「うるせー、黙ってろ。」
「うぐぅ…!」
美咲とは仲良くなったものの、明彦はいまだにこの状態の美咲は苦手だった。
「ここで半殺しにされるのさえ我慢すりゃ、お前らの望みどおり出場停止だ。良かったなぁ。」
3年生達もまさか本当に美咲が攻撃してくるとは思っていなかったので表情がこわばった。
「……で、お前らはそれで何がしたいわけ?」
「……………?」
「オレが出場停止になったってニュースを病院のベッドでニコニコしながら聞いてるつもりかい。言っとくけど出場停止になった日にゃ、もう失うモンねーからさ。今度はオレ何するか分かんねーよ?」
「……………!!」
そして、チラッと服部の方を見て、
「いいかコラ、よく聞けよ。コイツが下手なのは当たり前だろーが。今年本格的に始めたばっかだからな。上手くないから居残ってまで練習してんだよ、上手くなるようにさ。
お前らにそれを笑う資格あんのか?
コイツが流した半分でも、お前ら努力して汗を流したことがあんのか?」
「うっ…!」
「てめーらがチャラチャラしてる間もコイツは身体中アザだらけにして、弱音も吐かずに頑張ってんだよ。
辛くても歯を食いしばって続けてんだよ!
誰も功一を笑い者にする資格なんてねえ!!」
「み…、美咲……。」
服部は自分の気持ちが高揚してくるのを感じた。
嬉しかった。
「こいつは今に上手くなるぞ。お前らが口を出せないほどにな。今それだけの努力をしてる。
で、その努力が確実にこいつの力になってる。
そりゃあ練習は辛いぜ。逃げたくもなるよ。
家帰ってテレビでも見てた方がずっと楽さ。でも功一はそれをしてない。何でか分かるか。」
「……………。」
「自分に負けたくないからさ。チームにも迷惑かけたくないからさ。お前らがあざ笑ったのはそういう男だ!!」
「……………!!」
「今度功一をバカにしてみろ。タダじゃ置かねえからな。」
「わ…、分かったよ……ッ!」
「んじゃ、功一に謝れ。」
「チッ…。……わ…、悪かったなっ、功一。」
「心がこもってねえ!」
「あー、もう!すいませんでした!オレらが悪うございました!!」
3人は美咲に対する畏れと自分達の情けなさに一刻も早くこの場を立ち去りたかった。
「待てコラ。誰が帰っていいっつった。」
「な…、なんだよ!ちゃんと謝ったじゃねーか!」
「せっかく入ってきたんだ。球拾いしてけや。」
「……………!!」
3人は服部が後ろに逸らした打球のボール拾いをさせられる羽目になった。
練習はいつもよりキツかったが、終わったあと服部は清々しい気分だった。
練習後。
「あれ?アキのヤツ先に帰ったか?」
美咲は明彦を探していたが彼の姿は無かった。
「いつもはオレを待ってるくせに、今日に限って居ないとは何てヤローだ。ラーメン奢らせてやろうと思ったのに。」
何とも横暴なセリフである。
そこで美咲はハッとした。
「まさかアイツ…。」
明彦の性格を考えれば考えるほど美咲は確信を持った。
「……ったく、あのお節介め。」
「こっちだよ。」
服部に案内されて明彦がやって来たのは宮本の家の前だった。
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