もんちっち劇場






2/15 (月)



 

 本屋で新講社の「安らぎの処方箋」という本を買ってきますた。医学博士斉藤茂太先生の著書です。

 帯に書かれてるように「心が楽になるモタさんのいい言葉いい文章」という内容ですな。

 特に30を前にした辺りから徐々に劣等感にさいなまれるようになってきまして、30を過ぎた去年から非常にそれが顕著になってきて、凹むことが非常に増えてきたんで、このままではいかんと買ってきたのです。

 20代のうちはまだ先があるから希望を持って生きる事も出来たけど、30になってくると若さという心の支えも外された状態になるわけで、まあいろいろと精神的にヤバイわけですよ。

 ちなみに「鬱病」という表現は使いません。

 「鬱病」はもっと大きな悩みとか厳しい問題に直面したりして、本当に逆境の中を苦しみながら耐えている人が使うべき言葉であって、オイラ如きが軽々しく使って良いものではない、と思うからです。そういう人たちの鬱に比べたら、オイラのは単に「心が弱くて、いい年こいてイジけてるだけ」に過ぎない。



 ところで、そういう状況でいろんな場面でオイラを支えてくれたみんなには心からお礼を言いたい。

 オフラインの友達たちや、ネットでは特にイェッヒヒ(ゼロ式さん)、うさポン、とりょりょどんには、当の本人は自覚しておられないかも知れないですが、もうありとあらゆる場面で、元気付けてもらったり、励まして貰ったり、でもういくら感謝してもしきれない程です。

 他にもたくさんの方々にいろいろと感謝はあるんですが、特にこのお三方はもう数え切れないぐらい勇気付けて貰ったということで、名指しで感謝の気持ちを記しておきたかったという事でして、決してお世話になった人たちにランク付けしてるわけじゃないのでご理解いただきたいです。

 もうこれらの方々には、出来る事なら、オイラが先に死んだ時は守護霊の一人になって生涯お護りしたい、と思うほど感謝してるのです。オイラと出会ってくれて本当にありがとう。

 と、こう書くとなんか自殺をしようとしてるように思われてしまうかもしれませんが、死にませんよ(笑)。

 というか、死にたくないからこういう本買ってきたんだもんよ。ワシは天寿を全うして、堂々と天国のミーとトラに胸を張って会いに行くんじゃあ。

 まあ、ちょうど書いてるうちに話の流れがしんみりモードに入ったんで、せっかくこういう流れになったんだから、普段面と向かって言うのは恥ずかしい感謝の気持ちを書いておいたと、まあそういうことです。



 んで、この本の中に励まされる文章があったんで、ここでひとつ紹介させてもらいたいと。

 同じように劣等感で自分のことをゴミだカスだと、自分自身が目の前に現れたら殴り殺してやるとゆー感じで、自己嫌悪に凹みまくってる人のせめてもの励みになればと思って書いておきます。



 父はある意味で子供のような人間であった。

 鯉料理が出された時、父は隣の人の鯉を見つめた。どうやら自分の鯉より大きい気がする。

 「すまないけど、ぼくの鯉とその鯉を替えて下さい」と頼んだ。

 ところが鯉を取り替えて貰ったとたん、やっぱりさっきの方が大きく見えてきた。

 「やっぱりそっちの方がいい、取り替えてください。」と言った

 「隣の芝生は青く見える」というが、まさにその通りだ。隣の鯉は大きく見えたが、自分のものにしてしまったら、それほどでもない。また新たに隣のものが良く見えてきたのだ。

 劣等感もそれと同じ事ではないだろうか。

 ともすれば人は自分を小さく見ようとする。他人の持っている能力は立派に見えるが、自分の能力はそれほど素晴らしいものにはなかなか思えない。

 もし、取り替えられるものなら、お互いの能力を取替えっこしてみたらどうだろう。

 それでもやっぱり相手の方が上だと思うなら、それはおそらく、その相手が出来すぎるのである。

 あなたがダメなのではない。

 あなたは普通で、相手が出来すぎるのだ。

 凄い相手を褒めてやるのはいいが、そこで自分を卑下する事はない。




 まあ、何となくは分かってる事だけど、改めて文章で読まされると結構心の励みになるもんですな。

 他にもいい事いっぱい書いてあるので、また紹介するかもしれません。



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